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2011/08/11

ドラマチックな人生、という単語はわたしの父母にこそふさわしい。

まだ二十代前半の若手実業家が自社で主催したイベントで母を見染めた、というのが馴れ初めであるらしいが、それが本当かどうか尋ねたら母は薄く微妙して否定した。こういう笑い方をするときはなにかしら秘密があるときで、冷蔵庫にとっておきのプリンがあるときや、父に内緒でオペラのチケットを取った時などによくする表情のひとつである。

「そういえば、角はないわね」
「じゃあ、本当のところは違うってこと?」
「違うわけではないけど、まあ、真実ではないでしょうね」

母は針を動かす手を休めて首を回し、広げてあった画集を閉じた。刺繍はわたしたち母子が現在はまっている共通の趣味で、時間を見つけては椅子を並べてちまちまと手を動かしている。母が見ている重厚な装丁の画集はこの間父が母へと買って来たものだ。マイナーな画家のもので刺繍用の図版が無いからと、母は直接画集から布へ器用に絵を写し取っていく。もともとそんなに器用ではないわたしはまだクロスステッチを刺すのが精々で、母のような大作にはとても進めない。

「どうして急にそんなこと聞くの?」

妙に優しく、そのくせ意地悪ぶった聞き方をするものだから答えに窮した。

好きな人が出来たから、と正直に親に打ち明けるのはなんだか面映ゆい。それに、その相手は両親も知っている人なのである。

わたしは割合なんでも話す方だし、両親もリベラルなほうだけれど、ことイロコイ関係に関してはどんな家庭だって忌憚なく、とはいかないものだ。それに父は過保護にもわたしの進路は全て女子校という方針を今に至るまで貫いている。母も強いてそれを止めようとしなかったところを見ると、これは両親の暗黙の了解というやつなのだろう。
学校は女子校、その行き帰りは完全に自家用車オンリーで、異性の友人などひとりもいない。当然、友人たちが誇らしげに口にする「彼氏」なる存在がいたこともないし、そうなるきっかけだろう胸躍る出会いの場などひとつもなかった。

ごく、最近までは、の話である。

「あ、わかった。恋人でも出来た? 付き合ってるの? その人と、もうキスとかした?」
「ちょっとお母さん、何言ってるの!? そんなこと親の口から聞きたくない!」
「ああ、付き合ってはいる訳ね。そう、さっちゃんもついにそういう人ができたのね……」

なにやら感慨深げに甘ったるいため息をつき、自己完結した母は椅子をきちんと引いて座りなおした。頬を染めて「そうなの……」「そうよねえ……」「さっちゃんがねえ……」などと口走る様子は母の方が恋でもしているみたいだ。こんな風にはしゃいでいる姿を見ると、自分の親ながらかわいいなあ、とつい甘くなってしまう。母は恐ろしいことに三十代と言っても通る容姿をしているし、実際、わたしの姉と間違われたことも幾度かある。だからこういう仕草がとても似合うわけであり、その結果として今も勘違いをした花屋さんや園丁さんを道ならぬ恋に落させてしまったりするのである。
まさに魔性。
そんな母であるから独身時代は輪をかけてモテまくっていたらしく、結婚までは苦労したという話を酔っ払った父から聞きだしたのは、つい最近のことだった。

next  vol.3→8/15公開

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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。

2011/08/11 12:49 | momou | No Comments