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■もうすぐ終戦記念日=
私は終戦時は満州国チチハルにいた。
8月15日戦争は終わり[惨敗]の日本はアメリカの進駐軍を迎え入れた
未だ日本に帰らず満州で終戦を迎え1年後に帰国。
夫の実家が日本橋の人形町にあったので夫の帰国を待つ為、一応 人形町に身を寄せた。
その時日本は敗戦国とは言え立派に復興してビルはそのまま残り東京大空襲で一面焼き野原の東京は立ち上がリ進駐軍が町を闊歩していた。
人形町は都心である。
一歩外に出るとジープは走り回りアメリカ兵はキャンデーを子供達に撒き散らし大道を我が物顔に闊歩していた。
忘れもしないアメリカ兵の交通整理だ
もしかしたらそれは兵ではなく警官かも知れぬが。
そもそも日本なんか[軍のトラック」とタクシーが少しあるだけで高級車なんか見たことも無い
したがって四つ角と言えど交通整理なんか必要ない。
お互い目で安全を確かめ 譲りあい通っていた。
人形町から三越本店デパートまでは歩いていける距離だ。
大きい交差点には箱の上に立った交通整理がいて右左
後ろ前から来るジープや潜水艦みたいな高級車
通行の人間を捌かなければ為らない~
何しろ信号灯なんかないのだから~
そのおまわりさんが?四つ角の小さな箱の上に立って交通整理を始めると沢山の人だかりがした。
その格好よさ!!
手が右。左 前 横と動く度 足も動く
スーイスイまるで踊りだった
小さな箱の上で顔を真っ直ぐ前に向け鼻高 長足 金髪の男性が踊り?まくる
何時間受け持つのか知らないが交代になるまで小さな日本人は見惚れた。
終わって交代するときは[拍手する者]まで居た。
代わりは黒い制服の日本人がでて交通整理をする
無様「ブザマ」だったなあー
周りを取り囲んでいた人は その時 解散する。
1日に何度これをやったのか知らないが 気の毒なのは交代の日本人、、
日本人は物資を持たぬ。
なけなしの一張羅のヨレヨレ短足の男が顔をうつむけ背中を丸め手と足を動かしての交通整理は無様で見られた物ではない。
赤青黄色の信号灯が建ったのはどのくらい日にちが経ってからだろう。
文化の違いはこんな事にまで及ンでいたのだ
「負ける筈だよ」
皆の実感であったろう。
アメリカのパフォーマンスともしらないで。。。