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前橋の家に生まれたということは、イコール普通の家ではない家に生まれた、ということと同義語であるらしい。
普通じゃないのかもしれない、という疑惑は小さいころからうすうす感じてはいた。
例えばお土産。
父の出張土産はいつも変っていた。トーテムポールだったり、奇妙な形のオブジェだったり。それは別段驚くほどのことじゃなかったのだけれど、学校でその話をしてひどく奇妙な顔をされたことを覚えている。友達によれば普通の家のお土産は例えばチョコレートや人形であるらしい。
また、我が家には客間という名のよくわからない部屋が沢山あった。
客間といいつつそんなに客が多い家でもなかったので、それらの部屋のほとんどは父の蒐集した芸術品の保管場所になっていた。積み上げられた素描やブロンズ、大理石のかけらの周りに巨大なオブジェ。母に言わせれば「場所ふさぎ」な作品たちにまみれ、飽かず眺めてわたしは育った。木彫の力強さと滑らかさ。丹念に塗り重ねられた油絵の厚み。どの角度から見ても表情を変えるオブジェの面白さ。クロッキーの大胆でしなやかな輪郭。天井からつるされたタペストリーの網目を数え、それぞれの色に凝らされた物語を考えるのは大好きな遊びのひとつだった。
それらの作品は芸術品と呼ぶには敷居が低すぎて、わたしには格好のおもちゃであり、そういうものはどこにでもあるものだと思いこんでいた。だから、よそのお家にはそもそもこういう部屋はなく、従って不思議なのだということも大きくなるまで知らなかった。
それから母の衣裳部屋。
作り付けのハンガーウォークにずらりと並んだワンピースやドレスのひらひらした手触りや、微かに香るあまい匂い。触れるのを禁止されていたその美しい布を見上げると、いつでもうっとりしてしまったけれど、あんなにも膨大な量の衣服をいっぺんに見たのは後にも先にも母の衣裳部屋だけである。洋服屋を開けるどころでない量のドレスを所持する母はそうは多くないのだということに、あの頃のわたしは全然気づかなかった。
衣裳部屋にはドレスだけではなく、それらに合わせるアクセサリーも保管されていた。
首がちぎれそうなほど大きなエメラルドのペンダント、華奢で飴細工のようなブローチ。つややかな真珠のイヤリング。父の蒐集品と違って母の持ち物はいずれも整然と手入れされており、簡単には手に入らないような高貴な雰囲気があった。わたしはガラスケース越しにそれらの品々の放つ光に魅了され、息を殺してその美しさにひれ伏した。
庭もまた特別だった。
母が嫁いできた年に造園したというばら園ではほぼ一年中何がしかの花が咲いていたし、動物の形に刈り込まれた植木も自慢のひとつで、友達を招待できないのが本当に残念だった。子供の足では結構な距離があるからと禁じられていたからだ。たしかに一度、パーティに招かれた親戚の子が迷子になって大変な騒ぎになったことがあったので、母はそれを案じていたのだろう。あのときはわたしもまだ子供だったが、かくれんぼしていたはずの子がいなくなってしまったので泣きに泣いてばあやの手を焼かせたそうである。
こういう家に生まれたにしては、わたしは本当に凡庸な子供だった。
特技、ピアノ。趣味、散歩。
履歴書に書くほどのことは何もない、本当にネタに乏しい人生である。
もしあんなことが起こらなければ、将来誰かが弔事の内容に頭を悩ませたことだろう。
next vol.2→8/11公開
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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。