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地球の舳先から vol.206
台湾編 vol.2
「やっぱし、降りれなかった・・・。」
スーツケースの取っ手に日傘と上着と帽子をくくりつけ、わたしはバスを降りる。
自分の方向音痴を、今回も呪った。
おとなしく台北駅で降りればよかったのだが、空港からのバスは
台北の主要ホテルの近くを回るうえに、わたしにしては大変高級なホテルへの宿泊。
これは高級ホテルの前に乗り付けて降りてやろうではないかという貧乏くさい欲を出したが最後、
結局、台北駅もはるか過ぎた”どこか”でバスを降り、スーツケースを引く羽目になった。
雨が降り始めていた。
禍々しく空を見つめたのも、一瞬。
このくらいの雨ならば、もともと傘などささずに歩き回っていたことを思い出す。
このところ、東京で、雨が降るたびに大キライな傘をひらいていたのは、
空から降る雨に放射能が混じっているかもしれないから、ではなく、
報道や発表のなにが本当でなにがデマなのかがわからないから、だった。
そうか、傘をささなくてもいいんだな。
― もちろん、もっともっと有害物質が降っているかもしれないなどの可能性は
とりあえず横において(たとえば中国産ほうれん草に安全性をアピールされる筋合いは無い)、
わたしは雨の台北を歩いた。
曇りで、壊れたような東京の猛暑大炎天下に比べれば、ほとんど避暑地のような気候であった。
ホテルがある方向、であるはずの大通りで信号待ちをしているとき、
ふと道端に立つ、ノボリの形をした屋外広告が目に留まった。
「謝謝台湾」と大きく書かれたそのノボリには「東北関東大震災支援」という
文字が躍っており、中国語を理解しないわたしにも意図は通じた。
そして顔をあげると、自分が歩いてきた道にも、ホテルまでさらに歩く行程にも
そのノボリは、通り一面じゅうに張り出されていた。
ガラガラとスーツケースを引きながら、わたしは泣いた。
嬉し涙とも、ちょっと違う気がする。
国を越えたあたたかい情のようなものに包まれて、たぶんなにかが切れたのだと思う。
わたしは、”自分は被災なんかしていない”と、思い込んでいた。
そんな被害者ヅラをしたら、被災地の人たちに申し訳ないと思った。
大切な人も家も、失ったものは物理的にはなにひとつないのだから。
しかし台湾のこの地に来てわたしははじめて、
自分が「被災国・ニッポン」の人間なのだと実感した。
「東北のあの人たちより被害がすくないから、しっかりしなきゃ」とか、
「このまま日本を沈ませちゃいけないから、ふつうに生きなきゃ」とか、
そういう、自分に課した(―そして、これが日本人の美徳なのかもしれないが)
緊張感や使命感を、当然の義務だと思いすぎていたのかもしれない。
要は、力みすぎていたのだ。
消防署を通れば署員さんたちが出てきてただわたしが通り過ぎるのを見守り、
ホテルへ行ってもマッサージ屋へ行っても「大丈夫か」と聞かれ、
手作りの「頑張れ日本」の張り紙や募金箱を設置している店もたくさん見た。
肩肘を張って、がんばるべき場面ではなかったのだ。
地震は怖いし、放射線はなにも解決していないし、もう、
「どうしたらいいかわかんない」が、誰とはなしに言いたい本音なのだ。
そんなことを言ってはならないような、雰囲気が、いまの日本にはある。
日本を出てはじめて、ふとそう思って心がほぐれた。
スイッチを押せば24時間365日、電気がつくのが当たり前で。
蛇口をひねれば、24時間365日、飲み水がでてくるのが当たり前で。
「そんな国が、世界中に何カ国あると思ってんだ」と自分を諌める前に、
「そんな国だったのに、そうじゃなくなっちゃったよう」と悲しんでも、よいはずなのだ。
「謝謝台湾」のノボリのなかを、小雨にぬれて歩きながら、そう思い直していた。