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広告人・一倉宏氏の場合
After Talk
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一倉宏さんに、 ことばについて聞きました。
●「ことばの役割」について
―サントリーもサン・アドも、キャッチコピーをまず作り、そこから組み立てていった。
広告における、コピー、つまりことばの役割とは何でしょうか。
「コピーは、部品ではなく、世界観そのもの。
部品にされちゃうことは、多々ありますけれど。
主役でなくてもいいんです。“ことばで引っ張る”ってよく言うけど、
別に引っ張らなくてもいい。じんわりとでも、四隅に居てもいい。
でも、どこにいてもいいけれど、とにかく、世界観を規定するもの。」
●「ひらめき」について
―アイディアをひねり出すプロセスを、ときに「降ってくる」と表現しますが、
偶然の産物のように称されることをクリエイターは大概、嫌がります。
「“降ってくる”っていう比喩しかできないっていうだけじゃないかな。
“探す”のか、“拾う”のか、“落ちてる”のか、“こじあける”のか。
だって…ひらめきじゃないことばなんて、あるのかな。」
●「表現とロジック」について
―クリエイティブ表現は、アイディアと思いつきで出来ているわけではない。
戦術と戦略の交差を、どこから発想しますか。
「企画書を書くときは、ロジックは後。
もちろん、何も考えないというわけじゃない。
いろんなことを考えたあとに“たぶん答えはこういうことだ”と出てくるものがある。
もしそこが正しければ、その表現にはロジックでも行きつけるはず。
出口を見つけてから、そこに途中のロジックでたどりつけず、
なんかおかしいぞ、となるならば、出口が間違ってるのだろう、と思って、戻る。」
●「文体」について
―「一倉イズム」を期待されていると感じること、自身で思う自分の文体はありますか。
「広告こそ、なんでもあり。
堅くごりごりでパッションたっぷりで行くこともあれば、お色気たっぷりでやることもある。
風俗小説からノンフィクションから恋愛小説から純文学まで、使い分ける。
器にあわせて形を変えるというより、どんな器をつくるのか、がクリエイティブの楽しみ。
なにがなんでも心情寄りにするってわけではないけれど、
結果的に<叙情的>なことば、というのは自分の個性とかクセのようなものかもしれない。」
●「広告の仕事」について
―自由度、そしてアーティスティックな側面の大きい作詞などと比べて広告の仕事とは。
「広告の大きな力は、浸透力の大きさ。
過ぎ去るもの早いけれど、その分、旬を作る仕事でしょう。
広告は、圧倒的に露出する。
そこにお金も投じていくわけだから、当然といえば当然なのかもしれないけれど、
じゃあ、流せば流しただけ反響があり評価されるかといえばそういうものじゃない。
その規模を無駄にせず、それだけ流れるんだからすこしでもいいコミュニケーションに
しないとね。」
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了
Special Thanks to H.Ichikura & W.Sakamoto / 一倉広告制作所