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2011/07/04

ときどき、衝動的に殴りたくなる女がいる。
その女はすごく性格が良く、とても素直で、育ちがいい人間にありがちな甘さと優しさと標準的な倫理観を備えている。俺に対してやたらと嬉しそうに世話を焼き、「もうしょうがないんだからぁ」とか言いながら甲斐甲斐しく面倒を見たがるそいつは驚くことに俺の彼女だ。誰に紹介したって文句なしに褒められ、時には羨望のまなざしさえ向けられる、“自慢の彼女”。
――まったく、俺のどこが良くて付き合っているんだか。
お世辞にも顔はいいとはいえず、素行は目立つほど良くも悪くもなく、ごく一般的な会社員の俺と彼女が釣り合わないということはよく言われる。学生時代の友人たちは口を揃えて彼女は騙されているのだという。でなければ蓼食う虫。失礼な言い様だが、俺自身そう思っているのだから始末が悪い。

その彼女を殴りたくなる瞬間は、大抵発作のように現れる。
レンタルショップに行ってDVDを選んでいるときや、家にいて彼女が俺の洗濯モノを畳んでいたりする時、その盲目的な信頼と愛情に虫唾が走ってしまうのだ。がたん、と大きな音を立てて立ち上がった俺を、彼女は一瞬目を丸くして見つめ、それからふにゃんと笑う。わたしはあなたを信じ切ってます!というまなざしが優しく注がれて、俺は毒気を抜かれて黙りこむ。彼女はまた視線を戻し、やりかけだった作業に没頭する。殴るつもりで振り上げた手は失速してだらしなく元の場所に戻る。そういうことが、たびたびある。

俺はいったい彼女をどうしたいのか。
殴れば彼女は去るだろう、という気もする。去らないだろうという気もする。ただ、いずれにしてもその瞬間から、彼女は俺に怯えの混じった視線を投げるだろう。あのふにゃんとしたバカみたいな頬笑みは向けられなくなるのだろう。それは嫌だ、と思う。

「どうしたのー、黙り込んじゃって」
「……考え事」
「そっか。邪魔してごめんね」

今もやや低くなったボリュームで鼻歌を歌いながら俺の発作を留める彼女に、俺は多分甘えているのだろう。かっこわりい、と呟いたら、だいじょうぶ格好いいよ、と明るい声が飛んできた。

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花言葉:機知に富む
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2011/07/04 08:15 | momou | No Comments