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2011/07/01

“スラムダンク”の閃きが運命を!

私の画期的な思いつきと閃きとは、スポーツ心理学で確立されたさまざまな理論をメンタルトレーニングとして応用するにためのわたしのオリジナルメソッドとして、あの有名な“スラムダンク”の漫画を使うことだったのです。この頃から見えない心をわかりやすく伝えるために、毎日のように朝から晩までネタを探すようになりました。

その第一弾に思いついた画期的なアイディアこそスラムダンクだったのです。あの漫画は当時、大学体育会でスポーツをする奴で読んでないものはいないほどでした。最初は漫画をコピーしてはスポーツ心理学の内容をそれに添えて慶應の体育会の連中を相手にメントレをしていました。『スラムダンク勝利学』の基となる内容はこの頃に生まれました。体育会のメンバー1人1人にコピーをして資料を作成していたのですが、著作権にも触れますし、何よりコピー代が馬鹿にならなくなってきました。

そこで思い切って井上先生にこの話をして、許可をいただこうと会うことを決めたのです。どうやったらお会いすることができるのか?考えに考えました。当時バスケ協会の仕事をしていたので、この話をどこかバスケ関係の雑誌とくっ付けてもっていったらどうだろうと。。。。バスケットボールマガジンの編集長にこのアイディアを持ちかけたところ、井上先生にアタックしてみてくれるということになったのです。そしたら何とOKが出ました。バスケットボールマガジンにスラムダンクに学ぶ勝つための勝利学なる連載が始まることになったのです。それはもうびっくりでした。連載はもちろん好評で、何より井上先生がゲラをお送りするたびに楽しみにしているとのコメントをいただくようになったのです。それは信じられないことでした。

連載も26回のうち12回位が過ぎた頃に井上先生と直接お会いすることができました。下北沢の居酒屋です。今でも覚えています。感動でした。その時に井上先生がこの連載はバスケの人たちだけじゃなくていろんな分野の多くの人たちにも読んでもらった方がいいよと言ってくださいました。

書籍を出すなど全く頭になかったのですが、まず自費出版で小冊子を作成しました。その当時ないお金をはたいて清水の舞台から飛び降りる感じでした。当時から仲良くしていた元レラカムイ北海道のヘッドコーチで現在は全日本のアシスタントコーチをしている東野コーチが新宿東口になる紀伊国屋本店に直接この小冊子を持って行ったところ、当時の店長がOKを出してくださり地道に売れ始めました。さらにそれを読まれた読売新聞の方がある日それを夕刊に取り上げてくださったんです。そしたら、その夕刊が出るかでないかの時に電話が鳴り続け多くの人に読んでもらうことになるのです。その勢いで井上先生が書籍という話をされたので、正式に出版しようと思うと伺うとぜひと言われたので書籍にすることとなりました。そこから出版までもちょっとドラマがあります。

最初は井上先生が直接ご紹介いただいた井上先生担当の集英社の方とお会いしました。でもどうしてもこの方が合わず(井上先生の凄いところと自分自身を勘違いしているような奴に思えました)、お断りしました。当時本など出したこともなかったので、とりあえず知り合いの写真家に紹介されて小学館の方に話しをしにいきました。残念ながら当時断られたんですね。わたしは無名でしたし。

そしたら、井上先生の勧めで、集英社インターナショナルで痛快シリーズを作成しているのでそのスポーツ版を執筆してほしいと・・・。それは嬉しい話だったので一つ返事で受けました。ホテルの会議室で何度も編集やライターの方々との打ち合わせをしたのを覚えています。何しろわたしにとって最初の書籍だったからです。何もわからず勢いでやっていました。しかし、その痛快シリーズの作者たちはその分野の蒼々たる方々で、有名人ばかりでした。原稿もほぼできて出版間近かのある日、わたしはどうしてもわたしが出すには気が引けると弱音を吐き、唯一の自慢はスラムダンクに学ぶ勝つための小冊子(今の半分の内容)だと編集長に伝えました。すると驚いたことに編集長がそれじゃまずその本を出しましょうと。すでに原稿は26回分ありましたし、井上先生の了解も得ているので、それからわずか1カ月半で『スラムダンク勝利学』が完成し世の中に出版されたのです。ところが当初はなかなか売れず、苦労はまだまだ続きます!そこからわたしの独立へと繋がっていきます。お楽しみに!

2011/07/01 01:49 | tsuji | No Comments