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こんにちは。歯科医師の根本です。
前回は、縄文時代から昭和33年までの流れを、まさに駆け足で
おさらいしていきました。
人間の自然な寿命がもともと40年程度だったのが、戦後は現代医学の発達と
栄養・健康状態の改善によって、飛躍的に増進しました。
しかし歯の寿命は伸びないので、潜在的な歯科疾患の大幅な増加が見込まれる。
こんな時代背景をもとに、歯科も皆保険の仲間入りをしたのです。
昭和33年に施行された国民健康保険法で、3年後に皆保険達成になりました。
当時は国保本人家族、社保家族が窓口5割負担だったのですが、社保本人は
0 割 ( = 治 療 費 無 料 )
です。
治療に通うな、というほうが無理です。
私もよく当時の話を聞くのですが、とにかく今とは全く比べ物にならないような
ものすごい売り手市場だったようです。
なにしろ歯科医師1人スタッフ1~2人の平均的な街医者においてさえ、患者数が
1 日 100 人 (≒1人5分) は 当 た り 前
なのです。待合室には入りきれない患者様がそれこそ鈴なりのようにあふれ、
院内ではとにかく患者数を右から左にさばくことで精一杯、待ち時間はそれこそ
30分1時間は当然の有様です。
よく、医者歯医者の金儲け主義はけしからん、なんてしたり顔で嘯く輩がいますが
これでは金儲けの前に先生が体を壊してしまいます。
これが昭和50年代ごろまで続きます。
私が歯科医師会の会合で先輩の先生に聞いた話では、約30年前の開業当時
患者様が待合室からあふれて行列をなしており、診療室に入れなかった
とおっしゃっていました。。
根「治療はどんな感じだったんですか?」
先「まあほとんど抜歯ばかり」
・・・
よく「昔の先生は抜歯が好きで抜いて入れ歯ばかりで、こんなになってしまった」
とおっしゃる患者様がいらっしゃいます。
それもほんの数十年前の話です。
しかし、1日100人の時代では、良質の歯科臨床の提供など絵に描いた餅です。
それでも、無料ないしは安い値段で一応歯科治療が受けられるようになりました。
このことが、国民の行動様式に非常に大きく刷り込まれ、固定観念を形成します。
このことについては、重要なので後に述べます。
◆ 歯は無料~1本数千円で治療できる
もちろん実態は何度も申し上げたように、歯の治療は治療ではなくリハビリテーションなので
1日100人などの劣悪な労働環境では、否応なく
「とりあえず削って水銀(アマルガム)充填」
「とりあえず神経を取って差し歯」
「とりあえず抜いて入れ歯」
などの粗悪な仕事が乱発し、結果、患者様の歯やお口の健康を大きく損ねたのは当然でした。
しかし1日100人を1人で診るような野戦病院さながらの現場です。それはそれでお気の毒です。
労働者(歯科医師)も必然的に自己防衛のため下記のような固定観念を形成します。
◆ 削ること、神経を取ることは良いことである
◆ とりあえず抜いて入れ歯は良いことであ
診療所に大勢の患者様が押しかける。これも国民の願いだということも良く分かります。
これは非常に複雑な心境です。しかし自分の良心を騙して雑な仕事をするしかありません。
「もうこんなのは嫌だ、俺は技術を生かしてていねいに治療したい」
いわゆる自由診療専門医(=保険は診ない歯医者)がかなり生まれました。
必然的に患者数を1日10人以下に絞ります。
それでも患者が10人来たのです。それほど歯科の潜在需要の高かった時代でした。
(今そんなことをウチでやったら、一人も来なくなるでしょう・・・)
また、当時は差額徴収制度という、今はない制度もありました。
たとえば銀歯は保険が利くけど金歯は保険が利きません。
銀歯1本2万円、金歯1本5万円とします。
そこで、1割負担の社保本人の人は、
5万 - 2万×(1-0.1) = 3万2千円
国保や家族など5割負担の人は
5万 - 2万×(1-0.5) = 4万円
で、銀歯の保険を使って金歯を入れるというものです。
現在ではもちろんこれは混合診療禁止の原則に引っかかり違法ですが、
当時はかなり保険外診療の歯が出たようです。
金歯を保険に入れればいいのでは、という声が聞こえてきそうですが
やはり保険料の財源問題から、金歯までは無理だということでこうなりました。
この差額徴収制度は「昭和51年課長通知」という通知で廃止になります。
きっかけは主に国民やマスゴミの「歯医者は金儲け主義だ」という不満の声でした。
また日本医師会も、差額徴収という混合診療は保険制度の趣旨になじまないと反対しました。
そしてどうなったかというと、また歯科医療費が伸びてしまいました。
今まで以上に安易に、銀歯が増えたと言うことです。
今までの金歯数 + 今までの銀歯数 < 廃止後の銀歯数
私は思います。
確かに当時は、世界的にも差し歯入れ歯至上主義の時代ではありました。
しかし歯科医師はていねいで良質の仕事をしたい、と思うのも人情です。
自由診療専門医や差額徴収制度が、ある程度患者数を抑えることによる
チェアタイムの増加~診療の質の向上に寄与した面も大きいと思います。
なにしろチェアタイムは回転率に反比例します。
確かに客単価は上がりましたが、サービスの質も同様に向上しました。
ですから、単純な金儲け主義とはとてもいえないと、私でも思います。
現在の歯科臨床の観点から言うと、まあ五十歩百歩ではあるのですが、
私のような仕事をしていると、当時の先輩方の祈りのような気持ちが
伝わってくるような気がするのです。
ここで、私が最初のコラムで申し上げた「歯は治療できない」のように
◆ 歯の治療は治療ではなくリハビリテーションである
◆ 歯は有限なので、なるべく残すことが大事である
ということや、武田先生を引き合いに出したコラムで申し上げたように歯科を
第四象限
「可逆的」「回避不能」~たとえば一般的かつ偶発的な病気や怪我
現状どおり保険診療の『主訴に対する』対応で事足りると考えます。
ととらえずに、その時代に予防や定期健診の重要性を行政も含めてよく理解し
第二象限
「非可逆的」「回避可能」~メタボ・糖尿病・歯科疾患など生活習慣病系
「情報提供」「予防奨励」「飴(予防保険)と鞭(治療自己責任)」がきわめて有効
と捉えることが出来ていれば、現在の日本のようなお口の中の悲劇は生じなかった
と考えられるのです。
その大きなヒントは、患者数です。
じつは外科や内科、他科の医科開業医は、基本的に手作業がほとんどありません。
それは自己治癒力を期待できるので、投薬や指導、経過観察、看護師の処置指示で
ほとんどが完結してしまうからです。
また難病は大きな病院や大学病院で診ますし、小オペはまとめて行います。
ですので、彼ら(医科開業医)の場合は鼻歌を歌いながら楽勝で、現在でも
1 日 100 人 (≒1人5分) は 当 た り 前
なのです。
すべて手作業の歯科医師の1日100人とは全く事情が異なります。
それも「歯は再生しない」がゆえに起こる医科と歯科の質的な差から生じています。
昭和40年代当時、差額徴収を批判したマスコミや国民、医科医師たちの批判は、
その点も押さえてのものだったのでしょうか?
私は、その当時は国民誰もがその点を理解していなかったと思います。
日本独特の医療軽視の伝統もあり、おそらく単純な嫉妬心からであろうと案じます。
それから現在、若い主婦や小さいお子様は徐々に分かってきてはいるようですが
男女とも40代以降、とりわけ高齢者に近づくにつれて、意識は昔のままです。
それは初診時に患者様とお話をしてみると非常に良く分かります。
「とにかく、削ってフタをしたり取り付け工事をすればすべてよし」
一見素人考えのような気もしますが、そうではなく、じつは歯に対する昭和時代の
古 い 考 え
なのです。そして、その古い考えが非常にまずい利権構造と化しているのです。
じつは保険診療の歯科治療費(窓口負担)はOECD相場の30分の1近くの値段なのです。
その他はと言うと、上流階級以外は抜歯が実質的な治療だったりするような国ばかりです。
いっぽう、今の日本の健康保険は一旦悪くならないと使えません。
ですから予防や定期健診には(多少の抜け道はありますが)保険が利きません。
まじめに歯の除菌をしたりするだけで、数万円かかったりします。
ところが保険の利かないセラミックやインプラント、予防などの自由診療では
料金はわが国を含めてほぼ国際的に統一化の傾向にあります。
海外の歯科診療≒自由診療>>>/∞/>>>海外の予防歯科≒予防歯科>保険診療
何と、歯を予防するより歯の治療するほうが(若干ですが)負担金的には安いのです。
これではよく事情を分からない国民は、いや、悪質な輩は事情を分かっていたとしても
分からないふりとか「これが日本の常識だ」みたいな原子力村の連中のような顔をして
「悪くなってもぉ~、気軽にぃ~、保険でぇ~、歯の治療ぅ~♪」
とか言うに決まっています。
んなもん、俺だって事情を知らなきゃ、絶対言いますよ、おんなじこと!
リハビリテーションとか有限なので大事にとか、そんなことは30分の1の価格差の前では
頭から消えてしまいます。何しろ削ったほうが安上がりなのですから!
このような状況が放置されると、国民の歯はむしろどんどん悪くなり、医療資源も
どんどん浪費することになり、ますます財務省と厚労省がのさばることになります。
この悪循環のことを保険業界では「事前的モラルハザード」と呼びます。
正確には「ある事象に対して保険が設定され、被保険者が事象の発生確率に
影響を及ぼしうる場合に、被保険者が努力や注意を怠ることによって、発生
確率が増加する」という表現で示され、書籍「医療サービス需要の経済分析
(井伊雅子、大日康史;日本経済新聞社)」で二階微分方程式の解として証明
されています。
保険が利くことで国民の歯が良くなればいいのですが、逆に悪くなるのです。
これは問題です。
次回はこのあたりを、もう少し掘り下げて、保険制度にまつわる諸問題をいくつか
述べてみたいと思います。
【今回のまとめ】
国民皆保険以来、歯に対する国民意識は「事前的モラルハザード」に毒されたまま
p.s.
これを見ると「何だ根本は保険否定論者か?」といぶかる方も少なくないかもしれません。
そんなことはありません。より低廉な負担でより国民の健康が増進されることはまことに
結構なことだと思います。
しかし、制度が骨抜きだったり偏ったりしていると、思わぬ弊害があるのもまた事実です。
たとえば現在の日本経済はバブル崩壊後の数十年デフレ不況で苦しんでいます。たしかに
家庭の主婦にとっては物価が下がったので良いと思うかもしれません。
しかしその分賃金水準も下がっており、全体として金が社会に回らず、国は貧血状態です。
家庭の主婦は頭の中では「物価が下がってよかった」と安心していますが、無意識の中で
亭主の給料の低下に怯えており、なるべくムダ遣いを控え、旦那の小遣いを減らして貯金
しょうとしています。一家庭ではそれでいいですが、日本中がそうなると大問題なのです。
日本のGDPの9割は内需なので、解決策としては、1400兆とも言われる個人金融資産つまり
預貯金を国内で消費する、あるいは企業が投資することですが、1400兆の預貯金を預かる
銀行では、誰も借りてくれない中、利子で損しないために国債で運用するのが一番確実で
どうしても銀行に国債がたまり、政府に赤字と現金がたまっていきます。つまり貸し手は
国民の貯金なのです。こんなときには多少政府の借金が増えても景気対策が最優先です。
景気が良くなると物価がやや上がりますが亭主の給料も上がります。企業も銀行から金を
借りるようになり、銀行は国債を政府から買わなくなります。そのような時代こそ好景気
の日本であり、そうなるまでは国の借金がとか税と社会保障の一体改革とか決して口には
してはいけないのです。
これを家庭の主婦の視点で見ると、人によってさまざまです。
<A>給料が下がっても物価が安くなるほうがいい人もいます。
<B>物価が上がっても給料が高くなるほうがいい人もいます。
しかし貯金の多い高齢者の年金生活者から見ると、<A>がいいに決まっています。
つまり日本のお年よりは景気がデフレで悪い方が損をしないのです。
しかし貯金のない若中年の給与所得者から見ると、<B>がいいに決まっています。
つまり日本の若者は景気が悪いままだと生活も貯蓄もできないのです。
ただこのままでは高齢者の個人金融資産は相続税で国に召し上げられ財務省の帳簿のみ
矛盾が解消されるものの、本来国を回るべき富が国を回らず死に金になってしまうので、
デフレや低賃金は解消されず、若者はいつまでたっても貧困のままである、ということに
なります。
このように、物価が下がって一見良く感じても、じつは給料も下がって全体としては悪く
なる、ということもあります。やはり物事は多面的な見方が大事だと思います。
その意味では、震災もあるし、今は積極的な公共事業や設備投資を優先して、財務省には
景気が良くなってインフレ率がプラスになるまで税と社会保障の一体改革は待ってほしい
のです。とくに今は資産を失った被災者や将来の子供のために動くべき時期だと思います。
ところで今日本の歯科の優先課題は果たして安価で低質な修復の推進でいいのでしょうか?