こんにちは。歯科医師の根本です。
今日は、私の好きな学者、武田邦彦先生の議論から少し考えたいと思います。
胡散臭いと見る向きもありますが、私はこのような「正直系」の人間が大好きです。
ご存知のように先生はブログで活発に発言を行っております。
最近も勝手に王様になった菅政権という記事で、「原子力基本法は民主自主公開が
原則であり、政府民主党東電保安員御用学者のような原子力村の
隠蔽体質は論外である」とおっしゃっています。
これは全くそのとおりだと思います。
<命題>
民主自主公開の原則がない場面、必要十分なデータがない場面では
すべての国民議論、民主主義はまったくムダ
<対偶>
国民議論や民主主義を実りあるものにするなら
民主自主公開の原則と、必要十分なデータの確保が必要である。
というのが私の考えでもあるからです。
また、科学技術者の誠意、商人の誠意という記事で、
◆少なくとも科学者自身が「社会に貢献する」と考えていること
◆作品に関する全ての情報を表示すること
という前提条件が満たされるなら、科学技術者は傲慢にならずに、
その技術をショーウィンドウに飾るだけでよい、とおっしゃっています。
科学技術者としての中立性・矜持を示すまことに潔い見解であり、
このような言いにくいことをしっかり述べられる点に特に私は惹かれます。
その上でさらに、医療従事者の端くれとして社会福祉政策を語るなら
もう一段の敷衍が必要であると思います。
そこで若造が蛮勇を省みずに軽く暴れてみます・・
<1>ポジショントークを脱却する勇気
最近は歯科についてもネットで情報を断片的に取れるようになってきました。
しかし残念ですがどうしても一般レベル=患者サイドだけで取れる情報には限度があります。
その最大の理由は、
患者=消費者
というだけで、すでに偏ったポジションだからです。
私は以前、(挫折したが)商業出版用のデータ収集で、三重県在住の顔の広い某友人に
「歯科について何でもいいので一般レベルの疑問があれば集めてほしい」
(そのかわり個別の質問には彼を通じてすべて無料で回答する)
というお願いをしたことがあります。
彼は高校剣道部の同期で、25年ぶりに音信が取れたということもあり、
以前同様にとてもがんばってくれました。
その結果、非常にたくさんの質問が集まったのですが、その質問集はみごとに
過去に 自 分 が やられた不良治療についての相談になってしまったのです。
全般的・俯瞰的な面からの質問など皆無に等しかったことがとても印象的でした。
「歯など興味がない」と言われてしまえばそれまでですが、これが、
患者=消費者、というすでに偏ったポジションに立つ限界なのです。
それに対して私はこのジャンクステージのスペースを通じて
「それではヤバい」と、プロの端くれとして訴えたいのです。
やはり、包括的な視点に立って考えるには
医者=提供者
政府=監督者
という視点も加味して問題を検討するだけの精神的忍耐が必要があり、
あわせて、多面的な視点からの情報収集などの努力も必要です。
つまり医者が患者の立場にも立って考えるのは当然ですが、その他にも
国家とか行政、社会福祉担当者の視点に立って考えることも必要なのです。
ある人間がこの3者の視点にそれぞれ立って考えられる度量を持つことが、
民主自主公開
万機公論に決すべし
などのすべての国民議論、民主主義に参加するスタートラインだと私は考えます。
個人的な損得関係や利権などのポジショントークに終始して
声が大きいほうが勝つ、などというのはもはや議論とは言えず、
最悪を通り越して野蛮で卑属すらあります。
<2>ショーウィンドウに飾るだけでよい場面、よくない場面
武田先生の科学技術者としての中立性・矜持を示すまことに潔い見解は
科学の途に付く万人が見習わなければならない点でもあると思います。
先生からほとばしる正直系オーラは、泣き笑い健康談義(4)「修理屋さん」と「作る人」という記事(本当は(4)ではなく(5)だと思われますが)でも吹き上がり、
医療においても、厚労省と企業の利権の塊のようなメタボ検診を批判し
野戦病院で必死に治療している医師から見れば、一刻も早く戦争を止めるべきなのです。
しかし、医師は戦争については口に出しません。それは医師が「故障した人を修理する」
という任務を委託されているからです。
人の生き方について医師は口をださない・・・
その約束があるから、医師は治療という人の体に手をかけることを許されています。
と切って捨て
「予防医学」という「医学」が出てきて、医師は「故障の修理」から
「設計」の方に進出してきました。(中略)官僚や医師がこのようなことを
押しつけるのは(中略)傲慢な心が見え隠れします。
と、医療をあまり知らない人が額面どおりに聞くとやや不利益を被りかねない
発言もあります。
ただ、こと医療に関しては、そこから一歩踏み込んだ立場、すなわち武田先生流に言うと
「音声マニュアルつきの」ショーウィンドウ
にする必要があるものもある、と思われるので、その点について若干敷衍いたします。
私たちが歯科を含めて今後の医療をよりよくしていくためには
その疾病ないしは障害が
◆X軸~「可逆的」か否か
◆Y軸~「回避可能」か否か
の2点を軸に考える視点が必要だと私は考えます。すると
第一象限
「可逆的」「回避可能」~なものは、寡聞にして事例が思いつきません。
おそらく一般レベルで問題にならないのではないかと思います。
第二象限
「非可逆的」「回避可能」~メタボ・糖尿病・歯科疾患など生活習慣病系
「情報提供」「予防奨励」「飴(予防保険)と鞭(治療自己責任)」がきわめて有効
第三象限
「非可逆的」「回避不能」~後遺症の残るような大事故or癌等での断肢等
医療『以外』にリハビリテーションを必要とする内容なので、そこに手厚いケア
第四象限
「可逆的」「回避不能」~たとえば一般的かつ偶発的な病気や怪我
現状どおり保険診療の『主訴に対する』対応で事足りると考えます。
医療についての多くの問題がこのようにきれいに分かれると思います。
ちなみに原発事故も第二象限「非可逆的」「回避可能」ですね。
これに照らし合わせると原子力村の隠蔽体質などもってのほか、
もっとも忌むべき発想です。
政(ry が現在ごまかそうとしているのは、今回の事故が
第二象限であるのに第三象限「非可逆的」「回避『不』能」
であると言っている点です。その上で
(自分たちに対する)手厚いリハビリ(=電気代値上げ、復興『税』)
を掠め取り、ツケを国民に押し付けようとしている点です。
もっと言えば歯科疾患や原発事故は「歯科医療村」「原子力村」の住民が
国民に対して大事なことを隠蔽して、第二象限でもっとも大事である
「情報提供」「予防奨励」「飴と鞭」 = 民主自主公開/万機公論に決すべし
などのすべての国民議論、民主主義に参加する最低限のスタートラインすら
奪ってしまっているのです。
つまり歯科疾患や原発事故は「非可逆的」「回避可能」なので
「情報提供」「予防奨励」「飴(予防保険)と鞭(治療自己責任)」
が正解だと考えます。
「情報提供」
~民主自主公開、必要なデータの十分な提供
「予防奨励」
~広く安価に予防行動(健診など)ができる制度設計
「飴と鞭」
~上記2点を担保した上で、万一悪化の際はある程度の自己責任
原発も
「情報提供」
~民主自主公開、必要なデータの十分な提供
「予防奨励」
~十二分に安心な制度設計、付近住民への配慮
「飴と鞭」
~上記2点を担保した上で、万一悪化の際はある程度の責任共有
がもし徹底していたら、現在とは若干異なった議論や情勢になって
いたのではと思います。
ちなみに現在の「医療」保険は、体や歯がいったん悪くならないと使えず、
歯科やメタボのような「非可逆的」「回避可能」なものには不向きと考えます。
<3>プラスの世界・マイナスの世界
大体100人に1人くらいですが、ごくまれに分かっている人がいるもので、
歯科については歯科医師に権限が集中しすぎているのが問題だ、
とおっしゃる人がいます。
また欧米のように、歯科衛生士に開業権限を与えて(or衛生士を国が雇い)
「予防処置」「定期健診」「小児矯正」
をメインにしたら、誰も大人になってからむし歯や歯周病で苦しまない
という人がいます。
すでによい数字が北欧やドイツで出てきているのは事実なので、
歯科については日本は北欧やドイツをまねたらいいと、個人的には考えます。
(この件については今後じっくりと語っていきます)
また、産婦人科領域において助産師、整形外科領域において整体やカイロなど
周辺領域の人たちの活用が足りない、という意見も良く聞きます。
ただ、この点については乱暴に議論を進めると
「医者/歯医者ガー」「官僚ガー」「郵政ガー」「旧自民ガー」etc
などという、無用なスケープゴートによる悪者叩きでガスを抜くという
戦 後 日 本 人 最 悪 の 悪 癖
である無責任主義の上塗りを助長しかねません。
いや、楽ですよ。そういう風に叫んで溜飲を下げてしまうのは。
何だか素朴な正義の視点で社会参加した気分になるし、もしかしたら
問題も解決するのでは、と庶民が思いたくなる気持ちも分かります。
ただ、これを脱却しないと真の自立、真の民主主義も訪れない。
ストレスを発散する自由はありますので、この辺は分かった上で
WWEのように”大人的に振舞う(法の範囲内で)”のはいいと思います。
話を戻します。
そこで周辺領域の人の活用においては、当該部位の
◆Z軸~「全般的健康状態」
という概念を導入して考えます。
たとえばはっきり病気や怪我というのは、Zがマイナスの状態です。
糖尿病を長患いして、インシュリンを自己注するか薬で何とかするか、
なんていうレベルははっきりマイナスの状態です。
歯に穴が開いた、とか、歯周病で抜けてしまった、なんていうのもそうです。
歯並びが悪く、うまくかめない、などというのもそうです。
難しいのが、いわゆる第二象限のうち自覚症状に乏しいものです。
たとえばむし歯などの歯科疾患全般や、がんとかです。
(むし歯歯周病の自覚症状のアテにならなさといったら、ありません!)
これはたとえ痛くなくても他覚的に「むし歯」とか「がん」とか
はっきり診断が付くものは、Zをマイナスとすべきです。
いっぽう、これといって病名は付かないものの検査値が高いとか、
どうも最近運動不足で疲れやすい、このごろ腰や肩がこる、などというのは
Zがマイナスとはいえません。
お産についても、管理された正常な分娩は、Zをマイナスとするべきでは
ないと思います。
歯についても、定期健診でいつも歯石がつきやすいといわれる、とか
歯の掃除をしてもらうとときどき知覚過敏がおきる、などというのは
Zがマイナスとはいえないと思います。
結論から言います。簡単です。
医師(や歯科医師)の守備範囲は、Zがマイナスの領域です。
周辺領域の人たち(や歯科衛生士)の守備範囲は、Zがプラスの領域です。
ですから、利用者側としては、有効なスクリーニングの観点からしても
(1)まずはZがマイナスの領域の人(医師・歯科医師)の目を通して
(2)その上で必要があれば、Zがプラスの領域の人を有効活用する
という、ごくごくあたりまえの結論が出てくるだけです。
その上で、わが国では、Zがプラスの領域の人たちをあまりにも
軽視・抑圧しすぎてきた弊害が目立っていると考えます。
他科については不案内なので控えますが、歯科については明々白々です。
とりあえず現在の法体系があまりにも時代にそぐわな杉なので、
現行法の悪弊はいち早く切り捨て、まずはさっさと
助手は無資格でも歯科用レントゲンのボタンを押してもよい
助手は無資格でも型をとってもよい
助手は無資格でも義歯の調整をしてもよい
助手は無資格でも義歯を歯に接着してもよい
(以上、歯科医師の指示下であれば指導監督は不要)
&
衛生士は浸潤麻酔をしてもよい
衛生士はカルテを書いて保険請求してもよい
衛生士は本来的業務に際し歯科医師の指導監督は不要
という、世界中の先進国では常識以前の公理であり、かつ
お 口 の 中 の 北 朝 鮮 = 日 本
(いや、現韓国の歯科予防施策の前進を考えると、実質北朝鮮以下かも)
だけに残された無意味で弊害ばかり目立つ法規制は、国際的にも恥ずかしいので
一秒でも早く撤廃して、上記のような世界標準の歯科臨床環境を早くわが国にも
整えていただきたいものです。
「えっ、そんなことをしたら歯医者がオマンマ食い上げなのに、いいのか?」
という、私からしたら情けない声がたくさん聞こえてきそうです。
別に自分は、インプラントと予防マネージャーで食ってきますから
構いませんけど。。
【今回のまとめ】
医療系問題は「可逆性」「回避可能性」「+/-の世界」の三軸で考えるべきである。