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最近、映像の勉強や仕事から遠のいているので、ちょっとそのときの情熱やらを思い出そうと
一番ヒートアップしていた時期の日記をほりかえして読んでました。
キャストとエキストラについて書いていて、その考えがいまでも変わっていないことを再確認したので、自分のためにもその一部分載せます。
2006年8月、私が大学2年生のころです。
この日は映像演技のレッスンの帰りだったみたいです。
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昨日は朝から頭痛にやられ、練習もなんとかこなし、映像のレッスンもこの調子でこなそう!と電車に乗って向かったはいいですが、ガンガンが激しくなり、、
でも今日はカメラ撮りだ!と意気込んでたどり着き、自分の出番まで集中しまくり、いざ出番がきたらガンガンはピークに達し、ドライーカメリハー本番1-本番2と、その準備の間で集中力が切れるので、何度も意識を失いそうになってました。
と、朦朧としながらも、本物の現場でADさんとか助監督をはじめスタッフさんが「ばかやろう!早くしろ!」と常に怒鳴り散らしながら、役者さんたちには「すみません。ただいま。」と謝りまくっている光景を思い出し、こういうことなのか…。役者さんをいたわるっていうのは。。と実感しました。
エキストラとして現場にいくと、キャストさんと明らかに対応が違うのが身をもって体験できるんですが(なんか表現おかしいけど)キャストさんたちがいたわられている様子を眺めて、エキストラが小道具扱い(確かに「通行人」っていう小道具)されるときに、いつも「のし上がってやる!」という決意の場に変わっていました。
でも、スタッフがキャストをいたわるのは、決してちやほやしてるわけではなく、この役には他に代わりがいないからということ。
それは、自分自身が役をいただいたときに気づいたし、もしエキストラとかの経験がなかったら、勘違い女になってたかも。
自分たちのために仕事しにきてるエキストラさんをパンピーのように思ったかもしれない。
でも、エキストラも与えられた設定を演じなきゃいけない。
「勘違い」でしかられてる人はたくさんみてきたし、現に私も「君は南青山っぽくない」といわれて、使ってもらえなくて悔しい想いもしたことある。
エキストラだって、役者として演技してる。
たまに一般人を大量に連れてくるときがある。そういうのって大抵「芸能人を生で見たい」っていうのが大半だから、プロ意識がなくてイライラする。
だから、芸能人に向かってキャーキャーいう人があまり好きではないのかも。
舞台の裏側を見てしまうと、画面とか違う部分をみてることになるし、幻滅してしまうこともあるから。
現場で役者さんを見てると下積みをやってきたかきてないか、すぐにわかる。
エキストラに対する対応で。
ベテラン女優でも「私たちのために、こんなに暑い中待っててくれてありがとう」って言って上がる人もいたし、
台詞がないけど、準レギュの同年代の子が100人のエキストラに水くんで配ったり。。
こういう心遣いって、経験してないとわからない。
だから、そういうことを言ってくれたり、してくれたりした役者さんが画面に少しでも映ると、すごく嬉しい。
音楽の世界でも、こういった世界でも、こんな風に思われる人間になりたい。
私がやりたい表現は合唱にしろ、演技にしろ、一人ではできない世界。
このことを忘れないように。