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2016/09/07

良い表現と悪い表現…

僕ら声優は、良い表現を聴いて貰いたいという願望があります。

しかし良い表現という言葉を使うと「正解的な表現が何処かに存在し、その正解的な表現を探し出して声にしなければならないのでは?」 というような疑心暗鬼に陥る事があったりなかったりするような感じが無きにしも非ず的なナニがソレです。

その “正解的な表現” とやらに近付こう、探し出してやろうというアプローチもアリっちゃアリですが、その “探す” だとか “近付く” だとかっていう行動は、声優北沢力としての表現というよりは、正解という実態の無い謎めいた奴の表現をコピーするだけの表現のような感じがしてしまってモヤモヤする時があります。

しかし、やはり仕事ですから失敗したくないので、正解なんて表現があるのであればソレを丸パクリして事なきを得たいように思う時も正直あります。

とは言えそんな事ばかりをしていたら北沢力という声優のオリジナリティが消えてしまうのではないか…みたいな事を考えてしまいます。

「仕事なんだからお前のオリジナリティなんて必要無くね?」なんて声も聴こえてきそうですが、正解…と言いますかなんて言いますのかわかりませんが、教科書に載っている答えを探すような作業よりも、自分で思いついた答えを発表したいっていうワガママが僕にはあるので困ったものです。

まぁ、自分が思いついた答えが正解、もしくはそれ以上の表現であれば良いような話なんですよね。

ソレをちゃんとできるようになるには日々自分の感性を磨いて行かなくてはならないのでしょうが、教科書をめくって答えを探すような作業ばかりをしていても僕が思う良い感性はなかなか育ちません。

自分の生き方によって感性って変わってくると思うんですよね。教科書をなぞるような生き方をしていたら教科書通りの人間になり、教科書通りの感性になるって事です。教科書通りの人間が悪いとは言いませんが、僕はあまりそういう方面に興味が無いので “俺流” みたいな事を確立してソレを貫いて行けるような生き方をしていきたいんですよね。それができれば、俺流な表現…つまり、北沢力だからできる表現、北沢力にしかできない表現に行きつくように思うわけです。

何が正解かなんて事はわからない世界なので僕の考えが正しいのかどうかはわかりませんが、誰かに強制されてやるような職業ではありませんのでやりたいようにやりたいと思います(笑)。

2016/09/07 12:00 | riki | No Comments