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2015/11/30

m304

久しぶりにドアを開けると、冬の冷気が足元から這い上ってきた。慌てて部屋に戻り、厚手のパーカーをクローゼットから探す。一週間前はまだまだ暖かったのに、となんだか裏切られたような気がした。

僕は一週間に一回だけ、外出する。行先は郵便局、大型スーパー、レンタルビデオショップ。判で押したように決まっているコースは徒歩で回ると二時間ほどかかる。近場にもスーパーはあるのだが、日頃運動をしない僕にはこれが精いっぱいの運動だ。

僕の仕事は翻訳である。仕事は全て自宅で行い、インターネットで原稿を受け取り、成果物をメモリに入れてメーカーに送る。学術論文を専門に翻訳するライターとしては駆け出しのほうだが、卒業大学の教授がよく使ってくれるお蔭で生活に不自由はない。……もっとも、外出しないせいかもしれないけれど。

僕は、人と関わることが苦手だ。もっというと、コミュニケーションが苦手なのだ。相手の望むタイミングで適切な相槌を打ったり、合いの手を入れたり、スムーズに自分の話題を展開したりというテクニックを皆どこで学ぶのだろう? あがり症で、どもり癖もある僕にとっては、それらは高等すぎる技術だった。高校を出るまでの集団生活は、だからとても苦痛だった。大学に入ってからは研究内容が共通の話題になったので多少苦手意識も消えたけれど、会社員となって働く自分の姿はまったく想像できなくて、この仕事を選んだ。事務的なメールであれば齟齬なく行えるということも、人と直接会わずに金銭を得られるという点でも、天職なのだと思う。

だけど、そんな僕でも人恋しくはなる。

僕は両手にスーパーの食料品を下げたまま、レンタルビデオ店の自動ドアを通った。明るい音楽が流れ、「いらっしゃいませー」とどこからともなく彼女の声が聞こえる。ここはチェーンではなく、そのせいか扱っているDVDはほとんどマニアックな海外映画だ。オーナーの趣味が全開といったインド映画の棚を眺め、前回借りた映画の続編を抜いてカウンターに向かう。

返却するDVDと一緒に渡すと、いつもシフトに入っている彼女は嬉しそうな顔をした。

「前回のこれ、お気に召しました? あんまり日本では知られてないですけど、アクションが凄いんですよね。正直マニアックすぎてオーナーはこっちのほうはついてけないらしいですけど」

ゾンビのところ、スタント使ってないらしいですよ。補足情報までつけて会計してくれる彼女は、暇なのか新作映画のコーナーのおススメも教えてくれた。今はタイが熱いらしい。興行収入がどうの、映画祭での評価はどうのと立て続けに知識を披露してくれるのだから、根っから映画が好きなのだろう。

彼女は僕の相槌など一切必要としない。勝手に、話したいだけ話してくれる。それが心地いい。正直話の半分も理解できていないのだが、それを彼女が咎める様子もないし、おそらく気にもしていないのだろうと思う。話したいから話している。そんな感じだ。

でも、それが僕にとっては一番ありがたい。

週に一回、仕事を終えたご褒美に、僕はここで映画を借りる。聞き心地のいい言葉のシャワーを浴びながら。

2015/11/30 10:07 | momou | No Comments