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2015/11/20

東ブータンの山奥にあるメラ村は、標高約3,500mに位置する遊牧民の村。
つい最近まで電気も来ていなかった、まさに未開の地である。

メラ村までの旅の出発地点は、なぜかインドだった。
いや、なぜかということもなく、実は、東ブータンへ行くには、
ブータン唯一の国際空港があるパロからよりも、インドからの方が近い、
というただそれだけの理由である。

インドのグワハティ空港に降り立った時には、気温が35度近くあった。
着いたのが、朝の8時過ぎにもかかわらず、だ。
そこからブータン国境まで車を飛ばすこと約2時間半。
その道中もインドらしいふざけた事態がたくさん起こるわけだが、
今回の旅の目的はインドではないので、残念ながら割愛する。

で、ブータンの国境の街、サムドゥプジョンカルへ到着して車を乗り換え、
さらにブータン国内を北上し、メラ方面へと向かう。
直線距離で見れば、グワハティからサムドゥプジョンカルまでの距離と、
サムドゥプジョンカルからメラまでの距離はあまり変わらないように見える。

が、実はグワハティからメラまで1日で到達することは到底不可能だ。
既にブータンの道路事情は何度もコラムに書いてきたが、
ここには直線道路というものは存在せず、ただひたすら曲がりくねった山道。
平均時速はせいぜい20-30kmほどしか出ないし、なによりも、
単純な直線距離のおよそ3-5倍ほどの長さを走らされる羽目になる。

そんなわけで、初日は、サムドゥプジョンカルから北に150kmほど走り、
カンルン(標高およそ1,800m)という街で宿にありついた。
着いたときにはすっかり日も暮れ、気温もおそらく10度を下回るくらいに。
ちなみに、この街は、ブータン王立大学シェラブツェカレッジを擁する、
いわば学園都市で、街中には若い大学生をよく見かける。

カンルンには2泊滞在し、大学間の学術交流や共同調査の可能性について、
などという小難しい話をした後、次の経由地であるラディ村へ。
カンルンからメラは、無理をすれば1日で行けなくもないのだが、
せっかくなので、道中寄り道をしながら向かう。

ブータン有数の米どころであるラディ村は、ちょうど収穫を迎えていた。
ちなみにラディ村の標高は1,500mほどで、カンルンよりも若干低い。
が、低いからといって暖かいというわけでもなく、朝晩はかなり冷える。
この時期でもおそらく気温一桁にはなるので、まだ収穫前の田んぼがある、
というのがにわかには信じがたい。


収穫期を迎えたラディ村の棚田。

ラディ村のゲストハウス(という名の田んぼの中の一軒家)に宿泊し、
翌朝、いよいよメラ村へ向けて出発することに。
なお、ラディ村のすぐ手前から、道路はすでに舗装されていない砂利道である。
ここから、砂利道を一気に2,000m駆け上がると思うと、やや気分が滅入る。

と、ここまで書いてきたが、たぶん地名をずらずらと書かれても、
イメージがつきづらいだろうと思い、実際の走行ルートをGPSで記録してみた。
以下がその記録である。


ところで、実はメラ村まで車で行けるようになったのは、ごく最近のこと。
いままでは少し手前の村から徒歩で数時間かけて山道を歩くしかなかった。
道路が開通したのは、わずか3ヶ月前の2015年7月。
真新しい道(といっても未舗装だが)を、ラディ村から約3時間半かけて登る。
道中、放牧されたヤクの集団に二度ほど遭遇した。


荷を運ぶヤク。


放牧地から村へ戻るヤクと牛の群れ。

そしていよいよ、標高3,500mのメラ村に到着。
まずは、村で唯一のゲストハウスにチェックインする。
ちなみに、まだ4組しか外国人ゲストが来たことがないらしい。
これまでの観光客は、友人宅に泊まったりテント泊だったりしたそうな。


メラ村ゲストハウス外観。


まだ木の香りが残る部屋。薪ストーブ完備で寒い日も安心…。

荷を降ろし、早速、村を散策してみることにする。
とにかく外は寒いのでみんな屋内にいるのかと思いきや、
結構街中でいろいろな作業をしている。
薪を運んだり、小屋を建てたり、道路を広げたり。
冬支度がはじまったところ、といった感じの雰囲気である。
彼らからすれば、いまの時期の寒さなど、屁でもないというところだろうか。
たぶん、外気温は下手すれば氷点下だと思うのだが…。


手作業で道路を作る村の人々。


村には小さい子どもと、それを育てる若い母親の姿をよく見かけた。

途中、英語が話せる遊牧民の男性(26歳)を見つけたので、しばし談笑する。
話しているうちに、若者らしく、携帯電話のことに話が及んだ。
メラ村では、携帯電話の電波塔が建ったのは約5年前だという。
ちなみに、電気が通ったのは約3年前というから、ちょっと混乱する。

いったいどうやって、携帯電話を充電していたのか?
彼曰く、当時は、ランジュンという、先日宿泊したラディ村よりさらに遠い街まで、
食料品の買い出しなどで山を下りる者が、みなの携帯を預かって行っていた、
という。
もちろん、(車で3時間半以上かかる道を)徒歩で、だ。

実は以前、同じ話を人づてに聞いたことがあったのだが、
実際に村人から話を聞き、その情報が誤っていなかったことを確信する。

いまでは電気も通り、そうした不便もなくなったので、
若者からお年寄りまで、村人のほぼ一人一台携帯電話を持っているそうだ。
ただし、電力は安定供給されているとは言い難く、
電池切れも頻発するので、誰かの携帯を借りるのは当たり前。
さらに、そのへんに置いてある(他人の)携帯に出るのも当たり前。
というから、日本人とはかなり感覚が違うことがわかる。
彼らに言わせれば、むしろ出ない理由がない、という。

さらに深掘りしていけば、面白い話をたくさん聞けそうな予感を抱きつつ、
彼と別れ、この日の散策は終了。
夜半には寒さも厳しく、薪ストーブを焚きながら寝るも、息苦しくて寝付けない。
高山病手前の症状と、おそらく一酸化炭素中毒的な症状だと思うのだが、
かといって、ストーブを消して寝る、という選択肢も有り得ない。
それでもなんとか、浅いながらも眠りに落ち、メラ村の一日目が終わった。

(つづく)

2015/11/20 12:00 | fujiwara | No Comments