« ■flora World302「紅葉/大切な思い出」 | Home | キプロス世界大会(3)プレ大会DAY1と「深度申告」 »
大学助手という肩書きを得て、早半年。
すっかりコラムを放置してしまったのは、助手の仕事が忙しかったから、
というわけでは特にない。
世の中で、大学助手という職ほど、一般の方々から見て、
何をしているかわからない職種も、あまりないだろう。
正直に言って、就いている自分ですら、半年経った現在に至ってもなお、
他の助手の方々が、いったいどんな働き方をしているのか、全くわからない。
わかったのは、同じ「助手」であっても、どこの所属かによって、
その仕事内容には天と地ほどの差がある、ということ。
そして、これも正直に言って、自分が所属している学科の助手の仕事は、
誤解を恐れずに言えば、相当ヌルい、ということ。
こんなことを書くと怒られそうだが、まあ事実だから仕方あるまい。
そんな恵まれた環境に身を置くと、得てして人は堕落するものだ。
堕落とは穏やかではない表現だが、しかし、
「新しい職に就いて半年くらいは慣れるまでに時間がかかる」
などと、さもありがちな言い訳でお茶を濁すわけにもいかない。
なんせ、慣れるほどの仕事など、どこにも有りはしないのだから。
強いて、一つだけ、言い訳をするとしたら、いままでは、
「三十路過ぎのくせに学生」という尻に火がついた立場だったのに比べて、
下手に再就職してしまったおかげで、ハングリー精神を失ってしまったのだ。
率直に言って。
そもそも、本コラムのタイトルは「職を捨てよ」と謳っているのに、
書いている本人が職に就いているのだから、いよいよ本末転倒である。
あまり一般的な理解を得られそうもないことを承知で書くとするならば、
自由すぎる職に就くことによって逆に縛られる、みたいな状態に陥ったわけだ。
という、無為な葛藤を抱えた半年を経て、さすがにマズいと思い立ち、
ブータンへの渡航計画を真面目に立てはじめたのが、この9月のこと。
今回は、これまでの学生の立場での私費調査ではなく、
晴れて「出張」という大手を振って渡航できる立場になった。
が、あくまでも出張費は自力でどこかしらからもぎ取ってくることが前提だが。
幸いにも、研究出張費の目処が立ち(ある意味、この半年はそのためにあった)、
残る障壁は、僅かばかりの助手のお勤めを果たさねばならない日程と被らないこと。
こうした状況を踏まえて、日程は11月前半とすんなり決まった。
今回は、3週間の全行程を組んだのだが、
相も変わらず、スケジュールの立て方が下手なのか、
あるいは、せっかく行くのだからなるべく詰め込もうとする性分のせいなのか、
どう考えても無謀な強行軍になりそうな予感である。
どれぐらい無謀か、伝わるかわからないが、Google Maps上に落としてみた。
ちなみに、ブータン国内道路は、筆者は「常時いろは坂」と表現しているが、
とにかくひたすらに山道なので、例えば、B→C間は直線距離では60kmほどだが、
道路延長ではおよそ150km、車で走ると6〜8時間くらいかかる。
A. グワハティ(インド)空港着 from バンコク(タイ)
↓
B. ブータン入国@サムドゥプ・ジョンカル
↓
C. ブータン王立大学シェラブツェカレッジ訪問
↓
D. メラ村訪問
↓
B. ブータン出国@サムドゥプ・ジョンカル
↓
A. グワハティ(インド)空港発
↓
E. パロ(ブータン)空港着
↓
F. 首都ティンプー
(おまけ1:11月11日 ブータン第4代国王生誕60年記念式典出席)
↓
G. ブータン出国@プンツォリン
↓
H. サムツェ県訪問
↓
G. ブータン出国@プンツォリン
↓
F. 首都ティンプー
(おまけ2:11月17日 サッカーW杯アジア二次予選ブータンvsカタール観戦)
↓
E. パロ(ブータン)空港発 to バンコク(タイ)
今回のハイライトは、「D. メラ村訪問」と「H. サムツェ県訪問」である。
メラ村は、標高約3,500mに位置する遊牧民族の村。
つい最近まで電気も来ていなかった、まさに未開の地である。
サムツェ県は、上記ほど秘境ではないが、ちょっと理解しがたいことに、
ブータン国内からは自動車道路が通じておらず、インドから入国するしかない。
いずれも、かなり面白いものが見られるのではないかと期待が膨らむ。
ただし、今回は初めての訪問となるため、正式な調査ではなく、
あくまでも外国人観光客目線での観察と聞き取り、という形になりそうだ。
なお、これまであまりにもサボりすぎたので、今回の出張については、
逐次、この場を借りて、現地から速報レポートを書こうと思う。
(そうでもしないと、なかなかアウトプットを出さない難儀な性格のため)