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2015/09/14

地球の舳先から vol.364
東北2015夏 編 vol.2

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モノではなく「人」で、地方と全国を繋ぐ。

わたしが何度もこのコラムでも紹介している「食べる通信」の試みの根幹はそこだが、
東松島の食べる通信はその色合いがぐっと濃くなる。
リアルな人と人とをつなぐことのできる、現実的な規模感でもあるのかもしれない。
人が増えれば、コミュニティの濃度はだんだん薄くなる、そういうものなのだろう。
人が増えれば、インターネット上での「やりとり」も、やがて「メディア」化する。
その手前の、息遣いを感じるからこその、東松島の生産者と全国の読者の人間同士の関係がある。
わたしは比較的、いろいろなところに友達や知り合いがいる方だとは思うのだが、それでも、ここまでひとつの地域に「顔と名前が一致する人」が密集している場所もない。

編集長の太田さんは、千葉県出身で東北にはゆかりのなかった人。
今では、地元の人に「アイツは漁師か」といわれることがあるほどに愛されている。
そして、読者が東松島を訪ねれば、自らハンドルを握って案内してしまう。
ヘイコラしたりも、威圧したりもしない、垣根のない人。
ずっと東松島のほうにいた人ならともかく、都心の悪いほうの効率資本主義にヤラれていない。だからわたしは、太田さんが東京でエリートサラリーマンをやっていたと聞いて、とても驚いた。
口は悪いが、いい人なのである。口は悪いが。

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(編集長の太田さん。牡蠣漁師、阿部晃也さん撮影。)

太田さんが東松島に関わり始めたのは、震災のあと。
あのころ、程度の差はあれきっと誰もが心のどこかで持っていた「何かをしたい」という思いに突き動かされ、知人の知人を辿ってボランティア先を探した結果、浮上したのがこの地だった。
地元の再生を願うお祭りを手伝い、束の間、清々しい高揚感に包まれていた太田さんは
翌日、ひとり東京に帰る際に通った県南部の手つかずの海岸の光景を見て愕然とする。
復旧活動がひとまわり終わった後の、人の賑やかさがあり道路もある程度整った街との、あまりの落差。
「自分の薄っぺらい使命感が恐ろしくなった。」
報道では見られない現実を―と意気込んで携えてきたカメラでシャッターを切ることはなく、色々見て回るはずだった予定を変更し、すぐ高速に乗ってまっすぐ帰った。
自己嫌悪にも似た気持ちに整理がついたのは、「とにかく1年住もう」と決めたとき。
その後移住し、東松島食べる通信の創刊だけでなく、様々な場で奔走を続けている。
「1年」がとうに過ぎ去った今、太田さんは、「自分がやってきたことは”復興支援”だけではないし、人のためではなく自分のためにした決断だった」と振り返る。

実際、東松島には多くの資源がある。
わたしも今回ほぼ1日滞在しただけだが、太田さんに連れて行ってもらった先は
牡蠣漁師さん(東松島は種牡蠣の一大産地である)、海苔漁師さん(皇室献上の浜とよばれる)、希少米かぐや姫を作る米農家さんの畑、何十種類という野菜を作る農家さんの畑といった農漁業のほか、地元の海苔とのコラボ商品も出す肉屋さんやお菓子屋さん、海産物加工物で新たな価値を加える人、それに、その魅力を消費者の側の立場で解説する役割ももつアンテナショップの方々など
まさに海・山からわたしたちの食卓までの一線のながれにある様々な立場の人だった。
そして太田さんは、漁師の所へ行けば肉を与えられ、農家さんの豪邸ではお茶を啜ってとうもろこしを貰う。

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(庭のバーベキューで、東松島座談会。会話は尽きない。)

職人と、それを世の中とつなぐ人。
職人には、硬派で多くを語らない人も多いので、太田さんのような接着発信剤も必要なのだろう。ただし太田さんは、大きく見せようとか、どうだ凄いだろうというような大げさな演出はしない。
ただ、淡々と。ハートは熱いが、決して暑苦しくドラマティックに語る人ではない。
東松島という地に、そこにいる人に、絶対の自信があるからにほかならなかった。

「偶然」と呼べば、そうもいえるものなのかもしれない。
しかし、有機的に重なる「タイミング」を「縁」に変えるには、相当な人力が要る。
「東松島にとって“+1”の人間として、何が出来るか」を問い実行すること―
と、太田さんは自分の立場を語った。

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(特集した農家さん宅で打ち合わせをする太田さんと生産者さん。)

わたしは、太田さんのように、直接的にその地に居ついて何かをする人間ではない。
けれど、たとえば観光客として考えれば、こうして観光客の「+1」として
東松島というところに関わっている、ともいえるだろうし、
現地へ行かずとも東松島の海苔を気に入ってお取り寄せしている人もまた、
別の意味での東松島の「+1」だといえるだろう。

それは、新鮮な発見だった。
何かができるわけでもないのに、とかくどこかで「何かをしなければ」となぜか無駄に焦る肩の荷をおろしてみると、意外と、あれから広がった世界が、あるはずだった。

好きな土地ができるのは、たぶんそれだけで、とっても幸せな事。
加えてそこに「会いたい人」がいるんだとすると、
(せつない遠距離恋愛はのぞいて)やっぱりとっても素晴らしい事だった。

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(ちなみにわたしの会いたい人は… いっぱいいるけど…
 やっぱりこの、アンテナショップまちんどのアイドルたちかな…)

2015/09/14 12:00 | yuu | No Comments