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2015/09/01

過去の記事でも、演劇と結婚披露宴においての共通点を述べましたが、今回も演劇に絡めてのブライダルの話題です。

 

ここ最近、演劇の舞台に足を運ぶ人が減ってきて、お芝居に出たがる人も減ってきているという話を耳にする様になってきました。

そして、消費税率のアップなども影響してやむを得ないことなのかもしれませんが、チケット代金の相場が、何年か前に比べて上がってきており、ますます舞台に足が遠のく要因になっているかもしれません。

テレビが普及していない時代には、大衆は、劇場や寄席まで娯楽を求めて出かけていったことでしょうが、今や、テレビどころか、タブレットなどを用いれば、いつでもどこでもドラマティックな世界に入り込むことが出来ます。

そんな時代に、わざわざスケジュール調整までして、劇場まで足を運ぶなどというのは、面倒な行為です。

まだしも映画であれば、最寄の映画館まで行けば済む話ですが、特定の演劇公演を観るためには、それが上演されている唯一の場所まで移動する必要があります。

知らない場所で、もしかしたら道に迷うかもしれないと考えれば、ますます億劫になりますし、早く着いたなら、開場や開演まで待たされなければなりません。

 

けれど、どんなに映像の技術が進歩しようとも、生の舞台でなければ、俳優さん達のエネルギーを、その場で創り上げられた感動を、直接体感することは出来ません。

例えば、全く同じ内容の作品をテレビと舞台とで見たとしたら、それぞれのクオリティによるにしても、より心に強く刻まれ、記憶として残るのは生の舞台の方だと思います。

もちろん生の感動は、必ずしも演劇からでなければ得られないというものではありませんが、そういったものに触れる機会のある生活と、全くない生活とでは、やはり、人生の豊かさに差が出てくるのではないでしょうか?

劇場まで足を運ぶという面倒なことだって、ショッピングのためにお出かけをしたり、軽く旅行をしたりする様な感覚を持てば、それ自体が楽しいことになりますし、そういうことを経て観劇するからこそ、ただ漠然と部屋でテレビのスイッチをつけるのとは違う種類の感動が得られるのかもしれません。

 

そして、これは酒井独自の持論であって、色々反対な意見を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、ブライダル業界に携わる人達こそ、日頃から、演劇などで生の感動を求めることを習慣化すべきだと思うのです。

なぜなら、その生の感動は、結婚式場でお客様に与えるものと同じ種類のものだからです。

演劇において、客席にいるお客様に対して、舞台上にいる俳優をいかにして魅力的に見せるか、演出が試行錯誤されます。

結婚式・結婚披露宴では、新郎新婦を魅力的に見せ、ゲストに感動していただくことを目標に、全スタッフは試行錯誤します。

それにあたっては、生の感動の引き出しがあることは強い武器になると思うのです。

また、結婚式に参列するゲストだって、演劇のお客様と同じ様に、わざわざスケジュールを空けて、多くは馴染みの無い場所にまで足を運びます。

そのゲストをおもてなしの心でお迎えするヒントは、劇場での受付担当や場内整理のスタッフの応対や気配りの中からも見つけ出すことが出来ると思います。

 

冒頭で、演劇の客が少なくなってきていると述べましたが、実は、結婚式を挙げる人も一昔前よりも減ってきていて、近しい人達だけで行なう少人数ウエディングの需要も増えてきています。

それは、日本において、舞台離れ、言い換えれば、生の感動への追求が希薄になっていることと無関係ではないとも思えてきます。

もちろん、結婚式や結婚披露宴を盛大に行なうことが、どんな状況においても絶対的に良いことであるとは言い切れないと思います。

けれど、例えば結婚式でウエディングドレス姿の新婦を生で目の当たりにする感動と、ウエディングドレス姿を写真だけで目にする感動とでは、心に刻まれるものが異なってくるでしょう。

演劇業界やブライダル業界がもっと盛り上がれば、日本人の心ももっと豊かになっていく…なんて言うのは考え過ぎですかね。

昨今、結婚式を行なう人が少なくなってきているかもしれない反面、以前にはあまり見られなかった傾向として、結婚をしてすぐではなく、お子様も産まれて落ち着いてから挙式をする人達なども増えてきており、新郎新婦お二人だけでなく、元気なお子様の姿も併せて披露される姿も見かける機会が多くなってきています。

生の感動をいかに伝えていくかのバリエーションも、今後広がっていくかもしれませんね。

 

次回は、「道徳観」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。

ウエディングMC・酒井孝祥

2015/09/01 11:52 | sakai | No Comments