地球の舳先から vol.363
東北2015夏 編 vol.1
最近のわたしは気仙沼一辺倒だと思われているけれど、他の所へも行っている。
ただ、何度も行く場所は、観光名所以外の何かがある場所というのは共通のようだ。
そして、二度めと三度目の壁というものもある。
マーケティング業界でも風俗業界でも同じというが(つまり万象なのだろう)、
「リピーター」と「ファン」の間には、途方も知れない高い壁が聳えているのだ。
わたしが二度通った場所は、数えきれるくらいにはある。
ただし、「三度」以上通った土地は、海外ではパリ、国内では気仙沼だけ。
…だった。
このたび、「東松島市」というところが、それに加わった。
東松島との出会いについては、書くことが多すぎるので、次回に譲る。
今回の東松島訪問では、「大曲浜(おおまがりはま)」という地の海苔漁師と会った。
「皇室御献上の浜」とよばれ、海苔漁で名を馳せた場所である。
ここでわたしは、まさに三者三様という言葉のふさわしい三人の漁師に会った。
(紹介する漁師さんと、米農家の木村さん、東松島食べる通信編集長の太田さん)
津田大(つだひろし)さんは、柔和な笑顔に似つかわしくない武闘派だ。
東松島に実はある本格サーキットを貸し切った漁師カップでも優勝したというが(それを教えてくれた人に、優勝者はと聞くと「もちろんヒロシですよ」と返ってきたのが印象的)、海苔漁に関してもとことん「攻め」、そして「勝ちにこだわる」人。
「のり工房」は津田さん一族が暮らす豪邸だが、お坊ちゃんとは思えない気質。
余談だが、この豪邸でわたしは津田さんの息子に撃たれた。空気の入ったライフル銃で。血は争えない。
三浦正洋(みうらまさひろ)さんは、対照的に、震災後へこの地に帰ってきて
お父さんの家業を継ぐことを決めた、Uターン。
というとなにかしら「ベンチャー」的気質を想像するが、その逆という感じがする。
大曲浜の歴史と伝統を愛し、調和を是とする、世界平和を絵に描いたような人。
ふたりの好対照はわたしには一見意外なように見えて、
一度故郷を離れた三浦さんにこそ見える世界があることを深く納得させられた。
相沢太(あいざわふとし)さんは、ふたりに比べるとどこかしら兄貴分な存在。
仕事の上でも、次々と海苔に関する新しい価値観を発明しては市場に提案している。
海苔の佃煮を東松島土産にしたのも相沢さんだというし、最近は海苔うどんがヒット。
全国を飛び回りイベントを主催までするなど、いわば漁師の領域を「一次産業」だけではなしにしようとしている人で、相沢さんという人は、その存在じたいが革命だろう。
漁師仲間からも「男」と呼ばれ、アンテナショップの店員さんは「これはふーちゃんが作ってくれたの」とうれしそうに海苔の佃煮を紹介してくれる。(相沢水産HP)
同じ浜で同じものを生業にしているわけで、競合関係なのではと思ったが、
ここでは海苔の網は1人100棚と決まっていて、養殖場所も輪番制(!)。
「同じ条件」でいかに工夫をするかで、生産者どうしが腕を上げていったのだそう。
三人がそろってつけていたのが、スカイブルーのリストバンドだった。
これは、大曲浜サポーターズクラブというシステムで、簡単に言うと
「1万円払うと、いつ来ても大曲浜を案内してもらえる」というもの。
船に乗せてもらったり、海苔漁の見学、時期によっては地引網など…
「モノじゃなくて、コトを売りたかった」と相沢さんは言うが
みんないつでも来ていいということになれば大変なことにならないのだろうか…
現在、サポーターズクラブの会員は200人を超えている。
しかし彼らを見ていると、まあ、「来るなら来いっ」くらいの勢いなのだろう…
訪れた人がよく同じことを口にするが、東松島には人の魅力がある。
それは、「だれとかさんに会いたい」という個人的な感情ではなく、
魅力的な人が集まっているところというのは、独特の空気を発するのだ。
言葉にすると「面白い人が沢山いて活気がある」とかの平凡な表現になってしまうが、
「人」が「地」の空気をつくっている。そういう場所がある。
そしてここには、その魅力を客観的に理解し再編集しこの地の「売り」にしていこうとする(もちろん、良い意味で)― とある「参謀」がいる。
次回はその人の話をしたいと思う。
つづく。