« このドン・ジョヴァンニの演出法 | Home | IJAに出場してきました! »
一昔前まで、ビデオカメラと言えば、手が届かない程ではないけれども、気軽に購入出来る程のものでもありませんでした。
ところが最近では、誰もが持ち歩くスマホの標準機能で、簡単に動画を撮影出来てしまいます。
日舞のお稽古場でも、お稽古の様子をスマホで録画する人が増えてきています。
お稽古場によっては、録画すること自体を禁じていることもありますが、僕が通うお稽古場では、現状、個人の判断に任されています。
しかし、自分の中で決めました。
録画は非常手段にすることを。
ここ最近、人様の前で踊る本番があるのに、稽古日数が少なかったり、2人組の踊りで、一緒に踊る相手役と合わせての稽古がなかなか出来ない様なことが続きました。
そのために、あまり望ましいことではないと思いながらも、毎回稽古を録画して、何度も見返して、その次の稽古に挑みました。
その結果、当然のごとく振りは入り、曲と動きも合うようになってきました。
しかし、その時は良いものの、次に新しい振りを稽古する際に、もともと振り覚えが悪いのに、本当に振りが覚えられなくなりました。
稽古が終わった後に振りを思い出して、舞踊符という記号に置き換えて書き記そうととしても、ど頭の形だけは覚えていても、そこに続く流れが全く思い出せない。
もちろん、毎回録画すれば、簡単に覚えられることでしょう。
しかし、それによって、自分の中の振り覚え機能が劣化していくのは恐ろしいことです。
稽古を録画することによって、この稽古中に出来なくとも、後で見返せば出来るという安心感が生まれ、その限られた稽古時間で集中的に身につくものが減っていきます。
それが毎回の様に繰り返されていけば、そのマイナス要素の量が積み重なっていき、毎回録画をして稽古した一年と、そうしなかった一年とでは、自分の心技体に身に付くものの量が、大幅に変わってくる気がします。
踊りに限らず、あらゆることにおいてそうなのですが、何かの道を進んでいるときに、その道をしっかり進んでいるという確証が得られないと、とても不安になります。
道に迷ってしまい、自分の進む方向が目的地に向かっているかどうか分からないときに、遠くに目的地の建物が見えたり、以前そこに行く途中で目にして覚えている目印があったりすると、とても安心すると思います。
踊りにおいてその安心感を得られるのは、振りを覚えて、その通りの形で覚えられた時だと思います。
目的地に向かうためには、GPS機能を使えば手早く目標を見つけられる様に、踊りにおいては、稽古を録画すれば、手早く振りが覚えられます。
でも、それがないときには何も出来なくなってしまうのは恐いこと。
たまたま見知らぬ土地に行くというその場しのぎのことであれば問題ないものの、ずっと踊りを続けたいと思うのであれば、遠回りの様であっても、録画は極力避けた方が良いかと思います。
もちろん、本番までの稽古回数が足りていない状態で、その本番を成功させるためのツールとしては非常に有効ですし、人によっては、録画をすることによって、飛躍的に成長したという話も聞きます。
次回は、「生の感動」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。