« ■ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道 | Home | 黒い夜のための、黒い写真. »
色づいた鬼灯をみると、夏も終わりなのだと思う。
と言っても、まだまだ残暑は続く。花屋で買い求めた一対の花束を下げて歩くと、たちまちのうちに首に汗が噴き出てきた。
あの日も暑かったと思いながら水を汲み、からからに乾いた境内を進む。既にお迎えの用意をすませた家もあれば無残にも草が生えるに任せている家もあり、いちいち気にしながら一番奥まで進んだ。
夫の眠る墓所は綺麗だった。
先に手入れをしてくれたのだろうと思い、わたしはありがたく花だけを変えた。この人が家族に大事にされていることが、嬉しかった。
結局、半年足らずの結婚で終わった人だった。
形ばかりの式を挙げたあと、三月ばかりで身ごもった。夫はそれをとても喜び、まだ膨らんでもいない腹を撫でて話しかける真似もした。まだ若いのに禿げていて、笑うと顔中がしわくちゃになって、日に焼けてひょろひょろした腕でしっかりと抱きしめてくれる人だった。
わたしは、結婚までは話もしたことのないこの男と、ずっと前から一緒に住んでいるような気になっていた。
でも、夫はそのあとすぐに召集されて行ってしまった。
寂しかったが、仕方なかった。そういう時代だったし、我が家はむしろ遅いほうだったのだ。
敗戦から二日後、夫は死んだと葉書が来た。この家は帰還してきた弟が継ぐことになり、わたしはその弟とつがうことを求められた。それを拒んで、婚家を出された。子どもはとられた。弟は体が不自由になっており、子をつくることは難しかったからだ。
それでも、耐えられなかった。仕事さえ選ばなければ女一人食べていくことなどどうとでも出来た。
火をつけたばかりの線香の煙が目に沁みる。
今年も行先を告げずに出かけて来たが、行先などきっと気付いているだろう。かすかな裏切りのように思いながら、わたしは毎年ここに来ていた。
でも、迎盆のまえに来るこの習慣も、今年できっと終わりになる。足が急に弱くなり、この墓所への坂道を上るだけでめまいがする。バスを使うことすら、だんだんに苦痛になってきた。
当たり前だ。
もう、この人の死んだ歳の、三倍以上生きている。
(ごめんね)
手を合わせる。この夫とは違う相手と結局は連れ添ったことを、わたしの入る墓がここではないことを、詫びる。寂しい想いをしているかもしれないが、たぶんこの人は許すだろうと思う。そういう時代だったから。わたしが、結局は一人で老後を暮らすことは出来なかったことも。
あのとき生まれた子供も、もう還暦を越している。おそらく妻も娶り子をなして、幸せな家庭を作っているのだろう。
この墓を守っているのはわたしが捨てた家と子どもたちだ。
雑草一つ生えていない、この墓所を維持するのは並大抵ではあるまい。
この人は大切にされているのだ――そう思いながら、わたしはまた手を合わせた。
================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。