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2015/06/22

m296

梅雨時の庭は、かすかに土の甘い、重たいような匂いがする。
外出せずに済む幸いを喜びながら、わたしは小さな縁側でひとりで雨の音を聞いている。義父が丹精した紫陽花の花は今が満開だ。淡い紫から藍色、そしてやわらかな桃色の花。
張り巡らせたブロック塀に沿って咲き誇る小さな花のかたまりを、霧雨が音もなく濡らしていく。

夫がいなくなったことについて、直接的に詮索してくる人はいなかった。
離婚したの?と遠慮がちに聞かれたのは、出て行ってから半年後くらいだったろうか。「義理のお父さんと二人なんて大変ね」と言われることも少しずつ減り、わたしたちを本当の親子と勘違いしている人のほうが増えた。
もともと、夫より義父のほうと馬があっていたこともあり、同居はほとんどわずらわしさがない。
見合いで娶ったわたしのことを、義父はいつも丁寧に名前に“さん”をつけて呼んだ。
夫はぞんざいに呼び捨てにしており、義父にもそうしてくれと言ったこともあるけれど、義父はかたくなにその言い方を変えなかった。

夫の浮気が発覚したのは、いなくなるひと月ほど前だった。わたしより三歳下の相手には、おなかに子供もいるという話で、離婚したいと切り出されたときは頭の中が真っ白になった。なぜ、どうして? 呆然とするわたしに代わって義父は夫に怒鳴りつけ、叱り、泣き、最後には思いなおせと懇願してくれさえした。そして、数回にわたる怒鳴り合いと消耗するだけの話し合いをへて夫が姿を消したとき、二人して虚脱感に笑ってしまった。
すまないねと言った義父が、なんだかひどくいとしく思えた。

実家に帰ろうとは思わなかった。そして、義父も当然のようにわたしがそこで暮らし続けることを受け入れた。再婚を促されたこともあったが、結局離婚届を出していないことを理由にずるずると返事を引き伸ばし、そのうちに何も言われなくなった。

わたしたちは二人で暮らした。紫陽花の花が咲く小さな庭の、この家に。

義父はずっと優しかった。早くに連れ合いをなくした人特有のもたれかかるような人懐こさと、なさぬ仲だからと引く一線が違和感なく同居した姿勢のまま、わたしに囲碁を教え、毎日のように碁盤を囲んだ。二人とも好きな作家の本は必ず義父が発売日に手に入れ、読み終えると回してくれた。
本当は、わたしは義父と結婚したのかもしれない。
そう思うほど、それは幸福な時間だった。

その義父が死んで、初めての夏が来た。
生前言っていた通り、紫陽花の花はだんだんその色を変える。薄い青、紫がかった藤色、そして今年は桃色に色づいた株の下に埋めてあるものにまだ誰も気づいていない。七年、と聞いた。その七年は義父とずっと一緒に過ごすと思っていたのに、義父はわたしを置いて逝ってしまった。
その灰をまいた株も、今年はまだ青い花を満開に咲かせている。

霧雨はいまだ止みそうになく、わたしはひとりで縁側の庭を眺めている。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2015/06/22 08:21 | momou | No Comments