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2015/04/27

m292

キスをしたとき、真っ先に思ったのはやっぱりレモンの味なんかしないということだった。

もちろん、意外なほどに柔らかいくちびるの感触や漏れる息遣いにはドキドキしなくもなかったけど、思いのほか冷静な自分にかえって引いてしまったくらいだ。クラスメイト達の話す、初々しい緊張や興奮を味わいたくて深追いしたら、相手から苦しそうな顔で咎められた。
あとで初恋がレモンの味だというのはイメージの問題で、ましてキスの味ではないという誤解を正されたが、たぶんあの瞬間、私は傷ついていたのだと思う。
うっすら気が付いていた通り、自分の彼への想いの浅さを指摘されたような気がして。

 

高校生になると、付き合っている相手がいるかどうかがステイタスの基準だった。
もちろん、相手のランクによって自分のランクも変動する。相手が大学生かどうか。学校名はどこか。車を持っているなら車種、型式に至るまで無言のうちに仕分けられ、好きかどうかは別として恋人と呼べる存在がいることが高校生活の過ごしやすさに大事な要素となっていた。

私はその例に倣い、恋人を作った。
二人で過ごす時間が長くなれば情もわいて、恋していると自分で錯覚するようにすらなった。

でも、そんな小賢しい私に恋人は不満を持っていたようだ。別れ話を切り出されたのは、大学進学を控えた春のことだった。

「他に好きな人がいるんだろ?」

年上の彼は、そういって私を責めた。違う、と言っても聞き入れなかった。

「俺のこと好きじゃないだろう。そんなんで、この先ずっと一緒にいられると思う?」

私は答えられなかった。レモン味でないキスをした彼はそうして私のもとを去っていき、大学に進学した私は親しい人を作らずに終わった。
不安だった。一生このまま好きな人も出来ずに終わるのではないかと。
友人の結婚式に出るたび、“この先ずっと”を約束している二人が眩しくて目をそむけた。
それを約束できる相手を持てない自分が、なんだかとてもみじめなもののように思えた。

 

就職して、はじめて打ち込むものを得た。仕事だ。

いそがしい仕事だったが、それが原因なのか同僚はみな独身だった。
見てくれも中身もいいのに、仕事にとりつかれたように働いているものたちに立ち混ざって、私もよく働いた。楽しかった。充実した。恋人を作ろうとすら思わないほど、一人の時間は色々な予定で埋め付くされた。

「こんなんじゃ結婚なんてできないよねぇ」

同僚はそんな風にぼやく。ボヤキながらも頬が緩んでいる。
差し入れ、と飴を渡され、私も頷きながら自分の手元に目を落とす。お互いに今日中に返信しなければならない仕事を抱えている。

「仕事と結婚したみたいなものだねえ」
「まったく。嫌になるね」

口ほどにはそうでない顔で私たちは笑い、それぞれの仕事に戻る。静かに興奮しつつ、高揚した気持ちを抱えて。
口の中の飴は、期せずしてレモン味だ。
仕事に恋をするのも、たぶん、そう悪くない。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2015/04/27 04:40 | momou | No Comments