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地球の舳先から vol.353
東北(2015)編 vol.5
※こちらの記事には、2014年12月末及び震災当時の
東松島市の写真を掲載しております。閲覧の際はご注意ください。
しとしとと雨が降っていた。
東北の年末はそれなりに寒かったが、傘なしで歩けるギリギリの雨だった。
松島海岸から乗った、復旧工事中の仙石線代行バスをひとつ前の東名で降り
野蒜の駅までひと駅分だけ、歩いてみることにした。
川が近い。雨だったので平時がどうなっているのかわからないが
随分とせり出した水量は、このあたりも地盤沈下の影響があるのかもしれない。
右手に見える海岸線までのしばらくの距離にはもうほとんど何もなく
盛土の工事と、その土を運ぶためのジェットコースターのレールのような
見たことのない大きさの物体がそびえ立っていた。
野蒜の駅はすっかり廃駅の様相で、折れ曲がった柱もそのままだ。
駅にあるファミリーマートの前が代行バスの乗り場にもなっており
米国のトモダチ作戦の模様が屋内の広場に展示されてある。
野蒜の駅からまっすぐ海岸線までは早歩きで5分ほど。
防潮堤なるものが何なのか、見てきたいと思っていた。
「防潮堤問題」
最初、私には何が問題なのかがわからなかった。
テトラポットが並ぶような海岸線は普通に見たこともあるし、
何より津波であれだけの命を失った現地の海町の人たちこそが
あれだけ強固に声をあげて反対することに、意外ささえ覚えていた。
それが、気仙沼に出入りするようになってからは、
「海と共に生きてきた街。それを遮断し、海イコール怖いもの、
とするのはどうかと思う」という海町だからこその深い意見に遭遇する。
そう、そこで生きている人は、自然の怖さなどすでによく知っている。
だからこそ、自然と人間を対立構造にし「戦う」なんて考え方そのものが
お門違いだ、と感じるのだろう。
女川のように、防潮堤を作らないことを選択した地もある。
私のような、海のない県で育った素人目にも、疑問点は沢山ある。
10mの防潮堤を作ったとして、それ以上の津波が来たらどうなるのか。
○年に1度、みたいな想定でその防潮堤の高さを決めているらしいが
正に○年に1度、というミクロな可能性の津波が来たのが今回の震災ではなかったのか。
しかし防潮堤があることによって、食い止められる被害も多分にあるのだろう。
仮定と想定は、常に「でも」「しかし」「ただし」の連続だ。
私はこの問題については、何も言えない。
いや、何かを言うには、勉強不足だし知識不足すぎる。
が。この目で見た「防潮堤」なるものは、恐ろしすぎて
「これは、なんだかやってはいけないことをしようとしている」
と思わざるを得なかった。
野蒜海岸へ行ってからもう2か月ほどが経つが、今でも思い出す。
水平線の代わりの、黒いビニールシート。
その上に立ってもなお、海の方に土が盛られ埋め固められている。
そして、建物がほとんどなくなった海岸に響く
「ドーン、ドーン」という間断のない思い重低音が
波が防潮堤に当たって立てる音なのだと、随分してから気付いて驚愕した。
日本海沖の演歌に出てきそうな「ザッパーン」的な波とは違う、
地下に押し込められたマグマが立てるようなその音は大地すら揺るがしそうで、
おどろおどろしいとしか表現できない恐怖を感じた。
加えて、そのあまりの重い音に、抗い難い力の強さを感じ
「こんなものでこの海が抑え込めるわけがない」と思うのは易かった。
海は、人類の敵になったのだろうか。
わからないけれど、戦ったら多分負けると思う。
そう思うには余りある、五感の体験だった。