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2011/04/25


長く住んだ家を離れることになった。

この町は都会ではないし、田舎と言うほどの田舎でもなく、要するに中途半端なベットタウンで、僕はそこに祖母とふたりで住んでいた。転勤族の父は母を連れてどこへでも赴任していったが、最初の転勤のあと酷く学校になじめずにいた僕を今後も付き合わせるのは忍びないというのが両親の判断だった。その判断は幸いして、僕は二度目の転校のあとは地元の学校に通い続けることが出来た。勿論小さないじめの種はあった。その中には両親がいないということを理由とするものもあったけれど、子供の頃のそうした体験はローテーションのようなものだと知っていたので、僕はそれを自宅学習と言う名の不登校でやり過ごした。
そんなことが出来た一番大きな要因は祖母だった。
祖母は漱石の「坊っちゃん」に出てくる清に似ていた。
僕にはとにかく甘く、僕のやることはすべて正しく、三者面談では堂々と「この子のやることに間違いはありません」と言いきって教師をたじろがせるようなひとだった。その堂に入った甘やかし方のおかげで僕は特に反抗期らしき反抗期もなく、祖母の友人たちとお茶を飲んだり碁を習ったりして暇を潰してきたのだった。
この家には沢山の人が出入りした。平均してだいたい70代の男女が入れ替わり立ち替わりお茶を飲みに来て、僕の相手をしたり祖母と話したりして帰って行った。なかには明らかな下心を持っているジジイもいたが、どうしたわけかそういう輩はいつの間にか来なくなった。そういうわけで、この家の居間はいつも居心地がよすぎるほどに良かった。

おばあちゃん、と呼ぶと祖母は相好を崩して僕を見た。
その視線はだんだんととろけて行って、死ぬ間際には恋人を見るような甘い甘い眼になった。

その祖母が死んで半年。
もう転勤のない役職になった父は母の希望で都心にマンションを買うことに決め、僕は明日からそこで暮らすことになっている。この家はいつの間にか買い手が付いていたらしい。先日、買い主だという品のいい夫婦が家の中を覗きに来た。リフォームするとかしないとか、そんな話を聞くともなく聞きながら、僕は不思議と長く住んだこの家に愛着が無くなっているのに気が付いた。
僕にとってこの家は祖母ありきのものだった。
あの柔らかい、どこまでも溶けていきそうな笑顔がなければ、この家によりつくひともいないのだった。
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花言葉:愛嬌
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2011/04/25 08:12 | momou | No Comments