« 時代考証は必要か? | Home | ■オーケストラの名称 »
2015/02/19
このコラムに何度か書かせていただいた、わたしの叔母が、
先日札幌で亡くなりました。
最終的には彼女自ら「自然死」を選び、
最後の1週間ほどは断食・断水状態になり、
ロウソクの灯が消えるように、呼吸が少なくなり、それが止まった。
彼女はそんな形で私にも見舞う時間を与えてくれ、最後の「ありがとう」を伝えることができたので、
残された者にとっての悲しみは、軽くなったと思います。
私もこんな死に方をしたいなあ・・・
と、死ぬ時まで私のお手本を見せ、影響を与えてくれた女性でした。
どれだけ私はこの人に導かれたことでしょう。
気づいたらじぶんもアーティストになってたのは、
まちがいなくファッション・デザイナーだった彼女の影響。
私が20歳くらいの頃、ヨガを始めたのも、
今でもヨガが人生の伴侶であるのも、
彼女のおかげ。
世間知らずの私に、
女性が男性をもてなす夜の世界を教えてくれたのも、彼女だった。
私が若い頃、結婚に迷っていた時も、
じぶんは一度も結婚した事がないくせに、
「まきちゃん。結婚と離婚は、何度まで っていう決まりは、ないんだよ」
と、とんでもないアドバイスをくれたおかげで、
結婚もして、子どもも授かった。
生涯独身として生きた、色女。
当時の女性としては異質な生き方をした彼女は、
姪っ子や甥っ子を実の子のように可愛がってくれた。
私自身、じぶんはあまり「天然」だとは思ってなかったのですが、
すっごく天然の子から「まきちゃんほど天然ではないから」と言われたりする最近(笑)
だとしたら、たぶん、もうこれは叔母のせいでしょう。
もっというと、そのお母さん、つまり私の祖母が超天然だったので、
ほんとうに血筋としか言いようがない。
私の中に遺された、目に見えない叔母の財産。
わたしもまた、次に渡していこう。
2015/02/19 01:32 | maki | No Comments