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2015/01/31

今から書くことは、まだ自分の中でもちゃんとした答えが出ていないことなんです。

JAZZミュージシャンで食べていく、ということについてです。

ミュージシャンの間でも、そして一般の方からも、「音楽だけで食べているか」ということはとても気になることの一つのようです。
音楽で食べていく、ということにも、演奏だけで食べているのか、講師などの演奏以外の音楽関係に携わりながらなのか、ここでも別れるのですが…。

風潮としては、音楽だけで食べているということが専門的に優れている、ということとイコールに考えられることが多いのではないでしょうか?
苦労して、競争に勝ち抜いて、それだけに打ち込んで極めてこそプロのミュージシャンになっている、ということなのでしょうか。

もちろん、音楽だけで食べていくことは並大抵の苦労ではなく、素晴らしいことです。
でも、それ以外の人は音楽をやっていてもプロではない、というような見方はどうなのだろうか、と思うのです。

演奏だけ、音楽だけに毎日触れることは、あらゆる現場、あらゆる音楽に毎日触れることであり、経験を豊かにします。仕事としてやるからには、お金のためにいやなこともやらなければならないことも多いですが、それを乗り越えて自分の好きな演奏だけでやっていけるように努力するハングリー精神がミュージシャンとしての成功につながっていくことも多いでしょう。
その考えでいくと、音楽以外の仕事で稼いだり、色々な副業をすることを否定したり軽んじたりすることにもなったりします。驚くことに、演奏の仕事の中でも、定期的にどこかと契約して一定の報酬を安定的に得る仕事をしていると「ミュージシャンとしてダメになる」なんて言う人も少なくないのです。ハングリー精神がない演奏になるってことでしょうか?

アーティストとして、たとえ恵まれた環境でなくても自分のやりたい演奏、表現だけを追求していく。。。これもとても立派なことで素晴らしいことです。でも、そうでない人がアーティストとしての表現に劣るのか、、、、これは私としてはとても疑問です。
音楽だけでなく、日常の社会生活の中で色々な体験をし、研鑽を積むことも、芸術表現にとってはプラスになることだと思います。聴き手も、もちろん自分とかけ離れた芸術性の高い音楽を求めることもあれば、なにか自分の心の中に寄り添ってくれる、日常に溶け込む音楽が必要なこともあると思います。ギリギリ限界まで追い詰められた表現にだけ芸術性があるとはいえないのではないでしょうか。

聴き手も演奏家も、みな、その人の国籍、性別、キャリア、などに拘らず純粋に音楽だけを聴いて良し悪しを自分の価値観で決める、ということは、とても難しいのだと思います。

でも、まっさらな気持ちで聴いてもらって、自分の音楽を気に入ってもらえたら、そんな幸せなことはないと思います。
音楽だけで、アーティストとしてだけで、生活しているか否かは、関係ないんだと思います。

2015/01/31 11:04 | toyama | No Comments