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ブライダル司会の研修を受けているときの話です。
酒井がコメントを読んでいるのを、通りすがりにたまたま聞いていた大御所の司会者さんに、こんなことを言われました。
「あなたは役者さんだから、“司会者”というキャラクターを演じてしまっている。」
そのダメ出しの趣旨は、自分の言葉で自然に喋れば良いのに、いかにも「結婚式場の司会者ってこんな感じ!」というステレオタイプなキャラクターを表面的に装ってはいけないというものだと解釈しております。
じゃあ、それは具体的にどんなキャラクターでしょうか?
「結婚式の司会者」と聞くと、ニコニコした顔で、軽く手振りを交えてちょっと大袈裟とも思える様な話し方をする姿ですとか、しっとりとした雰囲気の中で、涙を誘うようなコメントをする様子をイメージされるでしょうか?
そういうキャラクターのイメージは、それが、結婚式場の雰囲気に相応しいからこそ、観念として固定化されているのかもしれません。
しかし、実はお芝居でも全く同じことが言えるかもしれませんが、目指すべきキャラクターを表面的に象ろうとすると、やっていることが嘘っぽくなってしまうと思います。
中身が変わらなければ。
「さあ皆様!いよいよお二人の!ご入場です!!」
などと、“いかにも結婚式の司会者っ!”な言葉をうわべだけ真似したら、それは、あざとくなってしまうと思います。
けれど、中身から司会者のキャラクターに切り替われば、その言葉も自然になっていくことでしょう。
ブライダル司会者に限らず、結婚式場で働く人全てに求められるキャラクター象を、僕は、以下の様に捉えています。
“人の幸せを自分の幸せの様に思い、幸せな絶頂にいる新郎新婦の力になれることが楽しくて仕方がない人。
辛さや悲しさなどを一切他人に見せず、明るさばかりを振り撒く人。”
仮に、それが結婚式・結婚披露宴の間だけの一時的なものであったとしても、中身からそういうキャラクターになっていき、その結果として、お二人の幸せを強調するあまりに、表現が大きくなったとしたら、それは真実に聞こえてくると思います。
もしかしたら、喋る技術などよりも、その内面の方が重要になってくるかもしれません。
次回は、「ダンスレッスンと日舞稽古の相違点」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。