« 野生のイルカ撮影について執筆「デジタルカメラ超・動物撮影術 プロに学ぶ作例・機材・テクニック」 | Home | 右にも左にもみかんがある町、豊橋 »
「Gold Rush」と聞いてすぐに頭に浮かぶのは、やはり北米やアメリカ西部で巻き
起こった壮大な”夢物語”だ。
1896年のカナダ・ユーコン準州「クロンダイク」での金鉱の発見は世界中の人々
に 「一攫千金」の夢をもたらした。
これまでいくつかの「ゴールドラッシュ」にまつわる文献を読んできたが、遠い異国
の地で起こった壮大な物語を活字の中から想像するのは難しい。
まだ見ぬ土地に足を踏み入れ、厳しい環境と戦いながら夢を追い続けた男たちの物語
には興味が尽きない。
先日、北海道北部の浜頓別町を訪れた時に、ふっとこの町が「砂金の町」であることを
思い出した。 現在はこの町を流れる川の上流で観光用に砂金堀り体験が行われている
のだが、 実はその昔、この地でクロンダイクに勝るとも劣らない空前の「ゴールドラッ
シュ」が巻き起こったという歴史が残されている。
しかし、今はもう北海道に生きる者でさえその出来事を知る者は少ないのではない だろ
うか・・・。
僕はしばしこの土地の歴史を調べ、当時の壮大な舞台の中に入り込んでいった。
北海道で砂金採取が始まったのはまだクロンダイクで金鉱が”ストライク”する以前の事、
江戸時代には既に採取が行われていたという 。
北海道南部から始まった”砂金探索”は次第に河川源流部から山を越え、北海道の南から
北へと急速に進んでゆくのだが、同時に人々の「夢」への関心もどんどん高まって いった。
砂金探索が頻繁に行われるようになると、その情報が砂金採取者達を刺激し、 一攫千金
をひそかに狙う者達が各地の網の目状に広がる支流や源流部に入り込んでいった。
そんな中、 明治31年に浜頓別町のウソタンナイ川で「砂金が出た」というひとつの小さ
な話題から、いわゆる”枝幸砂金”の「ゴールドラッシュ」が始まっていったのだ。
それはカナダのクロンダイクで「ゴールドラッシュ」が始まってわずか2年後のことだった。
翌々年にはウソタンナイ川の上流で国内最大となる768g、こぶしほどもある巨大な金塊が
見つかって採取者達に更なる衝撃を与えた。
わずか25人から始まった採取者が数ヵ月後には優に1万人を越えるまで 膨れ上がり、
あっというまに鉱山集落ができたというのだから、この「ゴールドラッシュ」がどれだけ
センセーショナルな 出来事であったかがわかる。
「東洋のクロンダイク」と言われた”枝幸砂金”の「ゴールドラッシュ」。
その歴史の陰には様々な人間模様を描いた裏話も伝えられている。
当時、砂金は国の財産であり、採取するには正式な国の許認可が必要であった中で、多く
の砂金採取達は「密採者」であったこと、大勢の砂金採取者の中には全く労働に不向きな者
や町の生活になじめない者もたくさん含まれていたこと。
また、それまでの仕事を捨てて「一攫千金」を夢見てやってきたものの、運に恵まれない者
は野宿同様の生活を送り、最後には帰る旅費まで失って衣服や所持品を売る者もいたと
いう。
“一攫千金”を狙う者はいつの時代も「後には引けないギャンブラー」のようだ・・・。
そんな状況の中でも確実に儲けた者達がいた。
彼らは”一握りの夢”に賭けるのではなく、現実を冷静に見極めた賢い人物だ。
それは砂金採取者達を相手に商売を始めた者達。
山の中に突如として集まった大勢の男達を商売人が放っておくはずがない。
かつてアメリカのゴールドラッシュにおいて、ジーンズメーカーの”リーバイス社”が誕生
した話は有名であるが、この地でも彼らを相手に始めた「宿」や「風呂屋」や「食堂」は
瞬く間に潤いに満ちて、それらの繁栄が現在の町の原型にまでなっているのだ。
それぞれがそれぞれの方法で”金”を求めて「駆け引き」を行ったゴールドラッシュの舞台
では詐欺師や強盗さえも物語の主人公となってゆく。
北海道の歴史に壮大な物語を残した北海道浜頓別町のウソタンナイ川。
今は当時の華やかな状況は見る影もなく、静かに蛇行を繰り返しながら森の中を流れて
いる。
渓流に沿って続く山道で見つけた大きなヒグマのフンは、すでにこの地が彼らの聖域に
戻った証であり、また、河原に茂る大木にはサケの遡上を狙ってたくさんのオオワシが
群れ、周囲は彼らの甲高い鳴き声に包まれていた。
今もこの川のどこかに金が眠っているのだろうか・・・。
そんな可能性を否めないこの土地に、ほかの土地には無い神秘の魅力を感じた。