« 緊急ライブ告知! ヒップホッパーのバックで1曲!吹くYO! | Home | PODCAST ありがたい »
皆さん、おはようございます。
私が指揮する公演の大半は、私が演出もしています。
その理由を、具体的な作品を使ってご説明しましょう。
題材はロッシーニの「セヴィリアの理髪師」ですが、
出来ましたら皆様も、メトロノームと楽譜をご準備の上、
お付き合いしていただきました方が、
より正確に理解していただけるかと思います。
取り上げますのは、リコルディ版スコア152ページから始まる、
バルトロのアリアです。
まずはテンポ指示をごらん下さい。
Andante maestoso 4/4という指定があります。
おそらく大半の演奏は、四分音符=90くらいで
始めているのではないでしょうか。
しかし、そのまま行くと、3段目の1小節目のフェルマータの後、
たちまち困ってしまうことになります。
そこで、例えば四分音符=60~65くらいのテンポに落とし、
改めて仕切り直して別の音楽を展開している、
というのがほとんどの演奏現場であると思います。
こういう演奏の仕方は、
何となくナチュラルな印象の演奏にするための、
楽譜の不適切な扱い、悪く言えば改竄にあたると思います。
言うまでもなく、Andante maestosoというのは、
Andanteよりも遅いテンポを指します。
当時のAndanteが今ほど遅くないことを考えても、
それより遅いAndante maestosoで90は速すぎます。
演劇的な状況を考えてみましょう。
ここは、バルトロが異常なテンションで怒りを表し、
ロジーナを脅しつけるアリアです。
maestosoの指示が、威厳をもって、というものであり、
それまでのレチタティーヴォ・セッコで彼が示したキャラからして、
どう考えても威厳のある人物ではないにも関わらず、
無理から権威をみせつけるような音楽を呈して、
オペラ開始後、初めてのナンバー、それもアリアを開始するのですから、
その威厳が自然な威厳である必要は全くありません。
それよりはむしろ、本人は威厳のつもりが、
不気味な押し付けと映る点こそ、
このオペラがブッファたる所以であると思います。
ということで、まずは開始のテンポを、
四分音符=70~75に設定することをお勧めします。
この設定の正当性ですが、
クヴァンツのフルート教本でのAndante4/4の設定が、
四分音符=80ですから、それより少し遅いテンポ、
ということで、当時の教育方針とも一致します。
ロッシーニがバロックオペラ最後の作曲家であることから、
少し前の時代人であるクヴァンツの考えを応用することは、
妥当な範囲内であると思います。
ベートーヴェンが第9の4楽章で、歓喜の主題を、
Allegro assai4/4 の設定を二分音符=80にしていることからも、
その半分のテンポと言われるAndanteを四分音符を80とするのは、
それほどズレのない話でしょう。
このテンポで始めて、前半をそのまま突っ切ればどうなるか・・・
3段目以降も、ちょっと早めの滑稽なテンポになりますが、
演奏が不可能なテンポではありません。
むしろ、バルトロがせっかく演出したはずの恐怖も、
いきなり器の小さい、肝っ玉の小さい、
セカセカした歌になって、ブッフォバスの本領発揮となります。
そして155ページの3段目からの2段が、異常に遅いテンポとなり、
しかも歌のパートにつけられたアーティキュレーションから、
歯を剥き出して異常な詰問をしている光景が展開されます。
さて、その後は元のモードに戻り、
皆さんお楽しみの早口モードのパートに差し掛かります。
しかし・・・しかし、しかし!!!
拍子が変わったことにご注目いただきたい。
もちろん速度表示も変わっています。
Allegro vivace2/4
このテンポ設定がどういうものか、まずは考察しましょう。
まず、拍子が2/4という2拍子になっている時点で、
同じAllegro vivace4/4よりは1拍のテンポが遅いのです。
さらに、vivaceという言葉がAllegroに付随すると、
一応Allegroで速い部類のテンポではあるものの、
細かい音符まで生かせ、という指示であるがために、
メトロノーム数値は落ちることになります。
このアリアのこの部分は、見事に細かい音符が並んでいます。
これを全て生かすためには、
まず、通常四分音符=140~150あたりで演奏されている
Allegro4/4よりも、2/4の指定ゆえに130あたりまで落とし、
しかも、vivaceが付随する分、さらに落として120くらいに設定する。
そうすると、言葉が流れずに、すべて正確に発音し、
しかも、イタリア人なら聞き取ることのできる発語であり、
正確に発音しようとする努力が滑稽に転換され得る、
ギリギリのテンポ設定となるのです。
そしてそのままのテンポで締め括りを歌うことも出来る。
何一つ楽譜をいじらずに済むテンポ設定が、
前半70~75、後半120というものです。
そして、そこからどのような態度で発語していくべきか、
ロジーナがそんなおっさんに対してどう感じ、どう反応すべきか、
演出のアイデアの源泉ともなるのがこのテンポ設定、
そしてそれはあくまでも楽譜から割り出したものであり、
一切の勝手な判断を排したものである、と言えます。
・・・・と、私はこう思っています。
これを実行に移そうとするに際して、
指揮者だけやっていても無理だし、
演出家だけやっていても尚更不可能だし、
ならば両方やって一致させるしかない、
というのが私の作品創作のスタンスです。
もちろん、他者と共同で作品イメージを立ち上げていく、
という作業も嫌いではありませんが、
そうではないものを作ろうとすると、
指揮者として読み取れる情報から演出家としての判断をする、
ということをするしかなく、
両方兼任しか道がない、ということになるわけです。