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地球の舳先から vol.343
香港編 vol.1
迷ったけど、やっぱり書くことにします。
あの震災があったとき、不通になった携帯メールのかわりに
Facebookやtwitterでメッセージを交換し合ったけれど、
わたしが真っ先に受け取ったのは香港の友人からの安否確認だった。
そんなわけでこの香港動乱(?)のニュースは決して他人事でもなくて
なぜかずっとあの大震災を思い出してたのは、そういうわけだったのかも。
国家の危機に直面して、団結し合おうとしていたあの頃。
もちろん、いいことばかりじゃなかったのもよくわかってるけど。
訪れた香港のアドミラルティ(金鐘)周辺は、
ヴィクトリア・ハーバーと金融機関のおそろしい高さのビルが
立ち並ぶ、香港の象徴的な中心地。
そこを「占拠」したと報道された学生が中心の集団は
わたしが想像していたよりもかなり大規模で、そしてかなり知的だった。
「知的」という表現がふさわしいかどうか…多分違うけど、相当する言葉が見つからない。
でも、報道からわたしが想像していた「ゲバ棒持って安田講堂」的な光景は皆無で
責任感溢れる自治のもと、キッチリとしたルールのなかで生活・活動していた。
非暴力 不服従
そんなことが存在し得るのだろうか?と、穢れているらしいわたしは思っている。
個人ならまだしも、人が目的をもって集団で争う時、果たしてそれは可能なことのだろうか、と。
アリも殺さない宗派の人々が人を殺すのが戦争だ。
しかし参加者の人たちはきれいにテントを張って管理をし
スピーチを聞くにも音楽を聴くにも叫ぶでもなく列をなして静かに座っていた。
友達同士のグループが多いそうだが、バカ騒ぎとは対極である。
物資の配給所、救護室などはもちろん、
学生のための自習スペースも作られ、夜はLEDの電気が灯される。
しかも、その横で自習スペースの机といすを手作りしている、いい大人たちがいる。
そうしてひとつずつ、机は増えていくのだそうだ。
公共サービスの手入れが入らなくなった代わりに自分たちで掃除をするという
公衆トイレはそこらへんのレストランのトイレよりも清潔に保たれ、
共同で使用する物資が整頓して置かれていた。
果物を発酵させて、洗剤や石鹸も自作しており、「使ってみて」と笑顔で渡される。
通称Lennon Wallと呼ばれる壁には国内外からのあたたかいメッセージが溢れ
「加油(がんばれ)香港」「香港団結」「絆」の文字に、
いやでもあの大震災を思い起こさずにはいられず、涙をこらえた場所もあった。
ウィットに富んだ横断幕のコピーやアート作品
活動のモチーフである雨傘や黄色のリボンでグッズを作る人々
でもわたしが一番覚えているのは、その「静かさ」だった。
22時を回っても人出は多く、それでも一番よく聞こえていたのは、拍手の音。
そこかしこで、夜遅くまで行われるスピーチの 合間合間に響くのは
シュプレヒコールではなく、静かな拍手だった。
高層ビルだらけだからだろうか、そこかしこからその拍手が街にこだましていた。
これだけの人が集まりながら、
その静謐な空気に、ただただ圧倒されるしかなかった。
よその国の政治事情をどうこう言うことはできないけれども
あの場にいた人たちには 心からの敬意を。
そして、実に難しいとは思うけれども
平和的な解決の道が見えることを。
がんばれ香港。
(封鎖された道路は歩行者天国。ここを降りて、中心部に向かっていきます)
(政府関連庁舎ビル。「人々に開かれた政治を」と、開いたドアの形をしているそう。)
(運動へ参加している人の数やテントを管理カウントする人の宿舎)
(ヴィクトリアハーバーの高層ビル群を臨む場所に整列されたテント群)
(政府関連の建物。柵はこの運動が始まってから、緩衝地帯として作られたそう。ベルリンの壁ならぬ、「香港の恥の壁」だというダンマクが張られています)
(通称Lenonn Wall。付箋のメッセージがたくさん。外国人からのメッセージも)
(英国では「雨傘革命」とも言われている、活動の象徴である黄色い雨傘のモニュメント)
(黄色いリボンも運動のモチーフ。グッズがたくさん手作りされている。わたしもバッヂとネックレスをもらいました。)
(中国政府に抗議し、断食を続けている男性。穏やかな表情で皆さんと話をしている)
(ヘルメット。人々は政府と暴力的に戦うつもりはなく、警察が催涙弾や警棒を使用したことにとても驚き悲しんだとのこと。)
(封鎖された道路上に並ぶテント。メリルリンチの動く電光掲示板が非常にシュール…。)
(アドミラルティ駅の、手書きの地図。救護室や充電所、お手洗いなどが図解されている)
※写真は人身の安全を考慮し、人にボカシをかけています。