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2009/10/06

JやSと週末にJの父親の家のガレージに集まり作曲したりジャムったものだ。Jはヒッピーのような薄汚れた格好にロングヘアとサンタのようにもじゃもじゃな鬚の男だ。そんな男の父親などいったいどんな男なのかと初めて会うときは不安だった。しかし実際は弁護士で高級なリゾート風の造りのマンションに暮らしていた。部屋の中は奇麗な白いカーペットで上がるのに気がひけた。キッチンには何でもそろっていて廊下には家族の写真が額に入れられ飾られている。しかしそこに集まるのは僕のように金のない汚い格好の人間や、ジャンキー仲間、ヒッピー連中と個性豊かだ。Jの父はそれをいつも楽しんでいたように思う。僕の初めて撮影したS8フィルムはJの誕生日だった。学校からスタジオライトを借りて、音声のレコーディングデヴァイスも持ち込みクラッパーで「かちり」。そのころから思うようになった、映像は時間がたてばたつほどその美しさを放つと。どうしようもないと思っていたものでも十数年後にみるとはっとする。そこにはJとガールフレンドのKが映っている。たしか手にはウォッカをもっていた気がする。2人は誰もがうらやむ最高のカップルだったから。

学校でフィルムの勉強で欠かすことのできなかったものは35mmの写真だ。これも光やレンズの勉強でよく使われた。僕も中古のスチルカメラを購入しいろいろなフィルターを使ったり実験をしたものだ。さらにリバーサルをクロスプロセスしたりして色の変化を楽しんだり、S8フィルムの混ぜて映像でビジュアルエッセイを創ったりした。こういった創作の過程は今の自分をより広く、深くしたと思う。
僕は新しい世界にのめりこんでいった。それと同時に1人の時間には死ぬほど絶望的な孤独も味わった。1人海や森にいくと世界がゆっくりとしかし確実に変わっていく、時間の雄大な川のような流れを感じずにはいられない。自分ができることできないことを考え焦った。僕を絶望させたもう一つに要因がある。それは新しい映像の世界に入るために今までの世界から飛び出すということ。今まで暮らしてきた仲間と別れ、クラスメイトと別れ、価値観が徐々に変化していく自分に気が付いていた。欲張りなのかもしれないがすべてを愛しすべてを受け入れる。そんなことができたなら、と思ったりもした。しかし現実は違った、心でそう思っていても、変わってゆく自分を止められるものは僕を含めだれもいない。数年後偶然街で再会した仲間と話した時、2人の世界が完全にわかれてしまったことに気がついた。そんなことも多々。の変化、時間、これをすべて表現しているのが映画だった。時間の芸術。人はそして物事はかわってゆく。そしてその時の心情や光景は誰ともシェアすることさえもできない。映像を創ることで、たとえその映像がどんなものであっても自分のその時の気持ちが映し出される。

JとガールフレンドのKが映っている。しかし彼らはもういない。あれだけみんなに騒がれたカップル。終わるはずがない時間が切り取られたまま僕の押入れにつっこんである。その映像はときおり僕の青春の数秒をスクリーンに映し出される。

次回更新予定(2009年10月18日:日曜日)

2009/10/06 03:28 | 未分類 | No Comments