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東日本大震災で被災された皆様、関係者に心よりお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
今回の地震は、様々な形で我々日本人に大きな試練とチャンスを与えたと思います。
(1)津波から学ぶ
多くの命を奪った津波被害は、想定を越えていたと聞きますが、過去に同レベルあるいはそれ以上の津波が押し寄せていた記録が残っています。
津波の伝播速度は、重力加速度(g=9.8[m/s])に水深(d[m])を掛けたものの平方根 (sqr(gd))で表せ、大陸棚斜面から急激に海溝へ落ち込む崖っぷちに位置する日本列島の場合、水深はほぼ一定の4000 mとなるので、津波はおよそ秒速200m(時速約700km)もの速さで進むことになります。東北沿岸から震源までの距離は200kmかそれ以下だったので、津波の第一波は20分足らずで到達したはずです。こんな短時間では、少しでも判断に迷っていたら逃げる余裕はなかったでしょう。
また、津波は、湾や地形によって更に高くなり陸地を駆け上がり、その到達高度(標高)は、実際の津波の高さより高くなる場合が多いようです。明治三陸沖地震津波では、38.2mの峠を津波が乗り越えた記録が残っています。岩手県宮古市姉吉地区は、被害の大きかった宮古市にありながら「此処ここより下に家を建てるな」という、海抜60mにある先人の石碑の警告を守り被害は皆無でした。「津波てんでんこ」(自分の責任で(家族などに構わず)早く高台に逃げろ)の言い伝えを防災標語にしていた釜石市の小中学生の殆ども助かっています。
先人達は、浸水や土石流などの被害を地名として残しています。渋谷や四谷などの「谷」のつく地名も、洪水被害を受けているからです。アイヌ語やこうした先人達が残した「災害地名」は、今日においても尊重すべき警告であり、合併などで勝手に地名を変え、かつての貴重な記憶を失うのは愚かな行為です。
また、西暦869年に今回と同じような震源で発生したM8.3クラス以上の貞観(じょうがん)地震に伴う津波が、仙台平野を遡上した痕跡が残っており、掘削結果と津波の計算シミュレーションの調査・研究成果は、産業技術総合研究所から報告されていました。このレポートにより、宮城県から福島県にかけて、海岸線から3〜4kmも内陸まで浸水していたこと、また、地面を掘削した浮遊物の地層の間隔から、過去450〜800年程度の再来間隔で同規模の津波が起きたことまで解明されていたのです。果たしてどれだけの人々がこの事実を知って、そこに暮らしていたのでしょうか。
- 報告書のまとめ (http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/press.html)。
- シミュレーション動画など(http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/jogan_tsunami.html)。
この事実を踏まえ、2009年の経済産業省の審議会において「福島原発の安全性」への指摘があったのですが、東電は科学的根拠に基づく歴史的事実(大津波)への対策を先送りし、「想定外の津波」と白を切った釈明をするに至っています。先人の言い伝えを守った人々と、科学的事実を無視した東電。。。
(続く)