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——「書き手」と「受け手」のあいだには
たったディスプレイ2枚だけど
「受け手」は「書き手」の「人間」に敏感で
「やらせ」「つまらん」「なんかいや」は、すぐばれる——
セミナー会場というには、あまりに無機質な会議室。
100枚近くあったのではないだろうか、
スピーディーに展開されるスライド。
文字ばかりの一語一語が、重なり合ってたたみかけてくる。
ヒヨっ子のわたしが広告の仕事をなんとなく始めて
はじめて受けたセミナーと呼べるような勉強会だった。
勝手がわからず持ち込んだパソコンは、気付けば床までおろして、
必死で手書きでメモを取っていた。
2006年初頭。「CGM」なんてコトバが、広告業界を全速力で走っていた頃。
わたしはブログメディアを使ったプロモーションのアシスタント、
というよりは使い走り及び暴走特急的雑用をしていて
そんなわけでその場に「勉強してこい」と遣わされていたのだった。
来場者用の最前列には、mixiの笠原社長が座っていた。
スライドがほぼおなじスピードで繰られていくたびに、
体の血が逆流してくるかのような、動悸・息切れで、くらくらし始めた。
もしあと30歳ほど年を取っていたら、心停止したかもしれない。
…なんておもしろいんだろう、ソーシャルメディアって。
…なんておもしろいんだろう、広告って!
登壇者は、須田和博さんだった。
その後の輝かしいご活躍——TIAAグランプリ、カンヌ国際広告祭メディアライオン・ブロンズ、
——などはあえてわたしがここで語る必要もあるまい。
須田さんの仕事にはいつも、須田さんらしい色があった、ということだけだ。
大塚製薬「ファイブミニ」の「体内怪人キャンペーン」でユーザと心通わせ、
ミクシィ年賀状で本人どうしさえ見えない糸でリアルとネットをつなぎ、
マイクロソフトの仕事でニコニコ動画という怪物に慄然と立ち向かう。
「ソーシャルメディア」と騒ぐ世論など どこ吹く風、
須田さんのスタンスはなにひとつ変わっていないように、傍からは見える。
その陶然たる余裕はどこから来るのか。
ソーシャルメディア元年と言われた2010年が終わってすぐ、
わたしは赤坂の博報堂本社を訪れた。
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Scene2;広告人・須田和博氏の場合
「アート・ディレクション」という職業。(4月12日公開)