邦画も邦楽も見るし聴くけれど、英語が理解できる、ということもあってか、
圧倒的に、洋画や洋楽に接する割合が多く、
“映像付きの英語”に接することが、今や生活のサイクルの一部となっている。
最初は忘れないようにと気をつけて英語のモノを選んでいた。
それに加え、読み書きレベルのみで会話はほとんどないけれど、
仕事で英語を使うようになってからのこの2、3年は
ぐっとヒアリング能力が上がった気がする。
そう気がついたのは、先日数年ぶりかのアメリカ旅行に行った時。
『上がった』というより、英語力ピークだった帰国時から一旦落ちた英語力が
復活した、に近い。なので世の中的には普通レベルと思う。
やけにすらすらと頭に会話が入り、
私も躊躇なく返答できるもんだな、という具合。
それから少しした最近、やけに英語の歌の歌詞が耳に飛び込んでくるな、と思い始める。
前回コラムの“The Monster”もそのひとつ。
もちろん完璧に聞き取れることはそうそうないけれど、
断片的に聞こえ、感覚的にこんなこと言っている、
というのを、調べて確認する。
そうしているうちに耳が慣れ、他の歌詞がまた耳に飛び込んで来る。
映画やドラマに比べ、英語の歌詞を理解するのはとても難しく、
そんな時はミュージックビデオを見る。
映画館で好きな曲に出会うこともある。
映像と一緒に出会う音楽は、印象が強い。
結局は映像と英語の組み合わせにたどり着く。
趣味から世界が広がる、と言うが、正にそれですね。
映画から英語へ、英語から音楽へ。
映画はもともと好きだったけれど、英語を知り、折角だから原語で、
と思わなければ、ここまでたくさん映画を見ることにはならなかったと思う。
さて、映画が趣味なのか、言語=英語が趣味なのか、
そこは断言に迷うところですが、
その内、何か楽器を演奏することになって、
英語の歌を歌うようになったりして、とか思うと、楽しげである。