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2014/09/29

皆さん、おはようございます。

オペラ版椿姫の中にいくつか気に入らない点はありますが、
1幕と2幕との間に大きな溝があるのも、
大変気に入らない点のひとつです。
ヴィオレッタがアルフレードの愛情に打たれ、
真人間になっていく過程が見事に省かれていることです。
このおかげで、物語が見事に深みを失っています。

しかも、1幕のヴィオレッタまでが真人間っぽくなっているため、
オペラ全体が単純に「可哀想な人の話」に見えてしまうのです。
この話はそんな話ではありません。

我々僧侶が説法をする時、
一つの典型的な題材として、
「ダメだったものが良くなった話」というのを喋ります。
信者さんに向かって個人的な諭しをするのならこれで十分です。
しかし、オペラとなると話は違います。
そこで終えると、面白くもない説教を聞かせただけになる。
オペラで私が問いたいのは、社会であるとか、
一般人の世論であるとか、
一個人の歪みの集合体としての人間群像です。

そのためには、
ダメだったものが良くなったのに、
周囲はそれを認めず、せっかく良くなったのに潰されてしまう、
そういう不条理な現象を扱って物申す必要があります。
しかし、それを扱うには、前提条件があります。
ダメだったものが、なぜ、どんな過程を経て、
どんな風に良くなってそこに至ったのか、
きっちり説明する必要があります。

1幕と2幕の断絶部分に本来あるべきものは、それなのです。
原作では、アルフレードがヴィオレッタに一冊の本を与えます。
それは、「マノン・レスコー」。
あまりに出てくるアイテムなので、
2本ものオペラの原作となっているその本、
実際に私も読んでみました。
その結果わかったことは、「マノン・レスコー」こそ、
1幕と2幕の断絶を埋めてくれるものなのです。

ヨーロッパにいた時は、デ・グリューを始め、
男たちを迷わせてばかりいたマノンが、
アメリカに追放されて初めて真っ当な女性になるが、
理不尽な扱いを受け、逃亡の途上で死んでしまう、という話。
つまり、1幕とその延長線にあるものとを、
丸々一冊かけて描いているのが「マノン・レスコー」なのです。

もちろん、「マノン・レスコー」小説も重要な小道具に使います。
そして、この小説をプレゼントするのにふさわしいキャラクターが、
1幕時点のヴィオレッタには必要なのです。

2014/09/29 12:42 | bonchi | No Comments