2011年3月11日、“東北地方太平洋沖地震”が起こり
16階にある会社のオフィスで30分とも1時間とも思える間揺れ続け、
エレベーターの止まったビルの階段を1往復半しつつ、8時間ほどの待機。
夜9時頃に東京メトロと都営線が復帰し、最寄駅から5駅ほどの駅までたどりつき、
更にそこから1時間歩いて帰ったその日に思い出したのは
ワールド・トレード・センター【World Trade Center】が跡形もなく消失してしまった
2001年9月11日の“N.Y.同時多発テロ”のこと。
その日、1機目の突入を日本の友人からの電話で知りテレビのニュースで見た後、
その意味の重大さも知らず、いつもどおりにバスで出勤した。
車内では誰もがその話をしていて、今思えば映画のワンシーンのようにザワザワしていた。
職場に到着すると2機目が突入していて、お昼前にはビルが崩壊した。
まるでプロのビル崩壊作業のように、WTCだけが真下に崩れたそう。
もし横倒しになっていたら、街中がパニックになるのがもう少し早かったと思う。
テロ事件で大変、と実感が出てきたのは午後に入ってから。
続々とニュースでテロの可能性が放送され始め、
オフィスに訪れるお客さんから、地下鉄がすごいことになっていると聞き
その内、窓の外が粉塵と思われる塵でもうもうとし始める。
WTCから34丁目のオフィスまでは5kmほどで、かろうじて煙が見えるぐらいの距離で、
同じ街にいたけれど、正直今でも別世界の出来事のように思えてならない。
+ + +
【災害】異常な自然現象や人為的原因によって、人間の社会生活や人命に受ける被害。
【天災】暴風・地震・雷電・洪水など、自然界の変化によって起こる災害
【人災】人間の怠慢・過失・不注意などが原因で起こる災害。
天災の被害が、防災対策の不備や救援の遅延などで増幅された場合にもいう。
【二次災害】ある災害をきっかけに、それから派生して起こる別の災害
※参照: 広辞苑 第六版発行(2008年(平成20年))
災害【disaster】
天災【natural disaster】/人災【human-made disaster】/二次災害【secondary disaster】
※各辞書からしっくりきた訳を抜き出しました
+ + +
明らかに“地震”と“テロ”では、同じ災害であっても本質は全く異なるものであり
その性質に関してこれ以上論点を広げるのは困難なのでここで止めさせてもらおうと思う。
かつ、私の置かれた立場だけに断言すれば、どちらも私は被災地にいた被災者ではなく
第二次災害が起こった中の最も話題になった土地にいた、ということだと思ってる。
そして両方に共通し重要なのは、その土地が一国の経済を担う土地だったというコト。
“同時多発テロ”の後のNY市内はいろんな意味で騒がしかった。
WTCの次に狙われるのは、34丁目のエンパイア・ステート・ビルディングや
42丁目のグランド・セントラル・ステーションだと、毎日“爆破予告”のニュースが飛び交った。
私が知る限り、本当に爆破されたところはなかったと思うけれど。
テレビでは木の葉のようにWTCから落ちる人たちの映像が流れ、
街中に“アメリカはテロに負けない”と国旗があふれる。
14丁目より南は封鎖され、街の東と西を走るハイウェイが通行止めになり、戦車が走る。
教会には敷地の外のフェンスにまで行方不明者を探すメモが覆いつくしていた。
関係ない東南系の人たちがテロリストだと襲われる事件が多発し、
それを抑制する呼びかけが行われるような、胸が痛むニュースも飛び交った。
そのうちNYを訪れる人々の絶対数が少なくなるのに比例し、仕事が少なくなる。
まわりには失業の話ばかりが溢れ、誰もがテロの恐怖と同じくらい、
自分たちの生活がこの先どうなるんだろうという二重の不安に押しつぶされていった。
人の生活って、なんて不安定なモノなんだろう、
人の心って、なんてもろいモノなんだろう、と、そう強く実感した。
正直あんなコトに遭うことは一生に一度、あれきりと思っていた。
今、私のいる場所・東京は、震災地から約250kmほどとずいぶん離れているけれど
同じような状況にあると思う。
続く余震と、燃料不足、根本的な物資不足。
更に“東北地方太平洋沖地震”による二次災害として、
福島の原発が正常機能しなくなり、関東圏への電気の供給がストップした。
電力が足りない。原発からの放射線による大気汚染、水質汚染。
作業者の被ばくのニュース、今だ解決しない原発問題。
そのうち、この不安定な土地にやってくる人タチの減少によって、
少し上向きだった経済に再び不況が訪れ、雇用にも影響してくるかもしれない。
それでも私タチにできることはたくさんある。
震災者の方の今の悲しみやこれからの苦労を思えば、頑張れることがある。
震災地に行きボランティア活動したり、義援金を送ったり、物資を送ったり、と
直接働きかけることももちろんだけれど
今の日本の生活を普通に維持すること、生活の営みを止めないこともそのひとつ。
ここまでは、普通のハナシ。
ここからは、個人のイケン。
わたしの今までの普通、本当に普通?
不安から燃料や水、その他物資を買占めをするヒト、生ものを買い控えするヒト
国は過剰に反応しないように、普通に生活するように、と言うけれど
普通の生活ってなんだろう。
今電力不足で“節電”が求められているけれど、
それは今を乗り越えるだけの為にすればいいこと?
不安から必要以上に物資を買占めないように、というけれど
必要ないのは今だけ?
今まで経済は、日本も含め、世界も含め、すっと“右肩上がり”を基本としていて、
“消費が減る”という選択肢はなかったように思う。
正直私も、いらないモノを作らず“消費が減る”ことになっても、
“まわる”世の中のしくみが、一体どうあるべきかさっぱり分からない。
けれど、多分今、特に都心に必要とされる意識改革はそういうことなんじゃないかと思う。
供給を超えない消費のシェアマインド、無駄な消費を促さない供給。
これから徐々にニュースから災害の話題が消えていくだろうけれど
震災地では長い復興作業が始まったばかりにすぎない。
それを長く支えるのは、私たちひとりひとりの意識。
今、瞬間に節電したり、節制したりするだけじゃ補いきれない
気の遠くなるような積み重ねの時間が震災地の人々には待っている、と想像する。
シンプルに、それを忘れないように。
言葉にするのにずいぶんかかってしまったが
震災地の方々が、心くじけることなく、一日でも早い復興を遂げることを
日本中の皆々が、心なやむことなく、未来への道をつなげて行くことを
そう望む。