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皆さん、おはようございます。
引き続き椿姫、原作とオペラ版との違いに目を向けてみましょう。
オペラしか知らない状態で原作を読んでみると、
前半、オペラで1幕に相当する部分のヴィオレッタの言動が、
かなり蓮っ葉なものに感じられると思います。
確かにそれは、お金で身を売っている女性の言動です。
一方オペラはどうかといえば、
単なる貴婦人にしか見えない言動です。
確かによく読めば貴婦人なら言わぬことも言いますが、
言い方があけすけではない。
原作はそこがかなりあけすけです。
この差はどうかといえば、
アルフレードがどんな女性に惚れたのか、
という基本的な設定に影響を及ぼします。
それはアルフレードのキャラクター設定にも影響します。
すると、必然的にそれは、彼らの恋の意味、意義、
そういうところにも影響が出てくるわけです。
オペラのように善良で、なぜこの人が?と思うような、
高級娼婦などやっていることがおかしい人を、
いきなり田舎の一般人的な暮らしに救い出した話ならば、
アルフレードはいわばヒーロー、正義の味方、というような
・・・結果的にちょっと足りないにせよ・・・そういう人になってしまいます。
しかし、原作では出会いにおいてヴィオレッタに軽くバカにされ、
それでも病気になれば1年通い詰めて容体を訊き、
やっとのことでオペラの1幕に該当するシーンにたどり着くわけです。
通い詰めるところは同じですが、
蓮っ葉なヴィオレッタにバカにされる、という背景の有無は違います。
別にそんな世界から救い出す必要もない女性に対して、
生活を変えた方がいい、と言い出す男なのです。
こうしたキャラクターの違いが及ぼす、
その世界から見えて来るものの違いこそ、
私の、オペラ版への嫌悪感なのです。
さて、そんな私が、原作を読んでいて
思わずツッコミを入れてしまったことがあります。
それは、ジェルモンが田舎にやってくる前、
パトロンに愛想を尽かされたヴィオレッタが、
大っぴらにアルフレードと暮らし始めた時のことです。
浪費もままならないからと、友達を呼びまくることをやめるのですが、
そのくせ、どこに住むかといえば、今住んでいる高い家賃の家。
こうした認識不足、あるいは環境を捨てられない習性、
そこには決して高潔な人物ではないヴィオレッタがあるはずなんですが、
そういう経過が省かれたオペラ版ではそこが見えてきません。
ただし、そこには一つの効果があります。
その後の展開について、
「これだけきっぱり生活改めたのに、その展開は可哀想!」
という同情の涙を呼ぶことは出来るのではないでしょうか。
しかし!しかしです!
私がそんな安っぽい涙を買おうとするでしょうか?
いいえ、絶対に!
弱い人間の業の絡まり。
人の業の哀しみを思って涙を流していただきたいのです。
そして、業が業を呼ぶことの哀しさ。
その離れがたさに苦痛を感じていただきたいのです。
麻薬や覚醒剤を考えてみて下さい。
一発ぶち込んだ快感や経験が怖いわけでも危ないわけでもありません。
やめられなくなって、他の業を積んでしまうから怖いのです。
一度の快感であっさり終わるのならば、
その後また欲しくならないのであれば、誰も禁止しません。
その後体を壊さないのであれば、危険ではありません。
体裁を高級っぽくすることで、
倫理的な高さをまとってしまうことで、
見えなくなってしまう哀しさ、恐ろしさ、
そういうものがあることが、私の許せないところです。
では、次回は具体的に設定を考えてみましょう。