« 若旦那コラム『竜馬がかく』 2014-08-30 19:48:54 | Home | 管楽器屋さんでの、ちょっとハートウォーミングな出来事 »
先日、「音の風景」と云う言葉に関心を持たれ、どんな意味かと聞かれた。皆さんは「サウンドスケープ」という言葉をご存じだろうか。
この言葉を知ったのは、大学の授業のなかでのことだった。「街のなかでみつけた音」の著者 吉村弘さんの本のなかに、サウンドスケープ通信という項目があり、街のなかの風景の「音」に注目し、言葉で綴られた本だ。どうやら、私は、音楽をやっていたのに、こんなことも知らなかったのかと、この「音の世界」に感銘を受けた。そして具体音を録音しそれを聴き入ることで音楽を作ってゆくという電子音楽の世界にも衝撃を受けた。
今から50年前には、その音の実験をやっている人たちが世界にいて、音楽と認識させられなくても、その音に没頭した前衛音楽をやっている人たちが昔のフィルムに残っている。それはとても貴重な映像で、説明をしなければ、何をやっているかわからないほどだ。
音の風景という言葉を聴いたとき、なんてかわいらしくてまあるい響きをするんだろうと愛らしく思ったことを今でも覚えている。目に見える風景を見ながら音の風景を聴いていたはずなのに、そのときのじぶんは、聴いていなかったのだろう。
吉村弘さんの著書を読みながら、今までやってきた音楽とはまた違った楽しさがあると想った。
私は「音の風景」を聴きに、そして、それらを録音しに、東西線の竹橋という駅に降り立った。皇居のお堀が目の前にあり、静かなところだと想いがちだが、音に精神を集中させると、、なんていろんな音が聴こえるのだろうと、頭がくらくらした(笑)夏の暑さでくらくらしたかもしれないが、一番気になったのが、通風孔から漏れる電車の音だった。こんなこと、今まで全然気にならなかったのに。人は何に集中するかで、違った風景が見えるのだと気付いた。その音を録音し、すぐに家に帰った。くらくらしたこともあってか、それとも録音したその、「音の風景」を一刻も早く聴きたかったのか。その「音の風景」をいくつも録音し、音を編集したり、聴かせたい音、聴かせたくない音に分け、また音の長さのなかにも、ここだけはよく聴かせたい、少しエフェクトをかけたらどうかと試行錯誤しながら、少しづつ、音の芸術が出来がったゆく。
そんな音の風景を教えてくださった先生方に本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
音楽をやるものでも、それは、音であって音楽ではない。と言いきる人たちもいる。クラシックだけが音楽と言う人たちも今だいるのは事実だ。しかし、器楽の音だけではなく、具体音に耳を傾けると違った音の世界が見えてくる。そんな楽しさを知った30代後半だった。