地球の舳先から vol.331
東北(2014)編 vol.6
切符を買って、JRの気仙沼駅に入ると、そこは車道だった。
BRT(bus rapid transit)路線は、断線した列車の代わりに海沿いを走るバス。
そのため、JR気仙沼駅は、電車の走るホームと、車の走る道路が平行に並んでいる。
ひかれるほどの本数はないのだが、旗を持った人が乗客をひとりひとり案内する。
ほどなくして、ホヤぼーやのイラストがふんだんに使われた赤いバスが入ってきた。
発車すると、携帯を取り出して、到着予定を知らせるメッセージを打つ。
イランにも一緒に行った盟友、千恵さんのご一行と南三陸で合流することになっていた。
彼女は物を書く仕事をしていて、その取材で宮城県雄勝に何度か行っている。
わたしが気仙沼をこよなく愛していることもよく知っていて、今度南三陸や女川、雄勝を回る
ツアーを友人同士で組むけど行かないか、と誘ってくれたのだった。
わたしは「雄勝」の読み仮名もわからなかったが、「笹かまね、行く!」と即答した気がする。
これを書いていていま気がついたが、笹かまを食べ忘れた。
バスはまだ復興とはほど遠い景色のところも通って行く。
降車した志津川駅は目の前が南三陸町のさんさん商店街。
ここで一行と合流し、南三陸町長である佐藤仁さんを囲んで昼食会だ。
わたしは旅に出たら朝からでも飲みたいのだが、さすがに町長が一緒ではまずいだろう。
うおう、ビールなしでこれから海鮮丼を食べるのか、と思っていると「飲め飲め」と言う。
すかさず、男性陣が地酒とビールを仕入れてきた。南三陸に地ビールがあったとは!
なるほど、町長がどんどん飲めという理由がわかった。
昼食会を終えると、マイクロバスへ乗って、「あさひ幼稚園」に立ち寄った。
サッカー日本代表の長谷部誠選手が著書の印税を全額寄付している。
総木造でやさしい香りのする建物。
将来的な移転を考えて釘を使わず建てているという。宮大工仕事。
いよいよ、南三陸へ行く人の多くが必ず訪れるであろう防災対策庁舎跡地へ。
テレビでもよく報道されたのでご存じの方も多いだろうが、職員だった24歳の女性が、
最後の最後までこの庁舎に留まって町中に避難を呼びかけ続けた。
そして、津波に流され、命を落とした。
3年前、わたしはここに来ている。
「被災地を見たい」などとは言い出せないまま、ホテルのスタッフにタクシーの手配を頼んだ。
しかし彼女はすべてを察しており、呼んでくれたタクシーの運転手さんは、
わたしが何を言わずともはじめにパネルされた震災前の南三陸の写真を手渡してくれ、
いろいろと説明をしながらこの地を回ってくれたことをよく覚えている。
まだ建物の上に自動車が乗っかり、信号がひしゃげてなぎ倒され、がれきが残っていた。
そんな中運転手さんが「あ、あれ」と思わず車を止めたのは鮭のほんの小さな養殖所だった。
あれからわずか半年のこの地で再出発を果たそうとする、「生」の側の一端だったのだろう。
海の幸が入らないのに、他から仕入れてでも、震災前と同じメニューを意地で提供していたホテルのレストラン。
そして真っ先に再建したという、真新しい、海に張り出した露天風呂。
そこから見える光景は、目の届く限り津波に流された更地が続いていた。
3年ぶりで、その、ホテル観洋の温泉に入った。
3年前と同じ穏やかな凪からは、やっぱり津波を想像することができず
別人のように美しい海は、かえって自然の残酷さばかりを思わせた。