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先日から後見に関して色々述べていますが、肝心なことの説明が漏れていました。
「後見」は“こうけん”と読みまして、決して“うしろみ”等ではありません。
さて、後見は影の様な存在であり、お客様のフォーカスを集めない様に、目立たない様に動くことが出来る後見こそが、優秀な後見と言えることでしょう。
しかし、自分が後見を行う機会が増えてくると、踊りの会や歌舞伎などをお客として見にいったとき、どうしても、本来は注目すべきではない後見の姿に目がいってしまいます。
そして、格好良い後見の姿を見ると、自分もその様に在りたいと憧れを抱きます。
後見が舞台上で座って待機しているときの、真横向きよりもやや客席に背中を向けた姿、いわば裏向きに斜に構えた背中…
そこには、流儀の紋が背負われています。
もしも舞台上でトラブルがあればいつでも動きだすことを予感させる、適度な緊張感がその背中から滲み出ているのを目の当たりにすると、なんとも凛々しさを感じるものです。
以前、僕が「三社祭」という舞踊の後見を行ったときの話ですが、作品中、二人の踊り手の姿を隠す程の大きさの、雲の作り物が登場します。
そして、雲には、それぞれ「善」と「悪」の象りが施された丸いものが2つついており、それが外れた後に、踊り手がそれと同じデザインのお面をつけて登場する場面があるのですが、酒井は後見として、それを外す役割を与えられました。
雲が舞台のセンターに位置し、その前に回らないと外せない構造であったため、稽古のときには、極力、自身がど真ん中に移動することは避けて、少しでも端の方から手を伸ばしていました。
ところが、それを見ていた、その場にいた中で一番キャリアのあるお師匠さんから、こうアドバイスを受けました。
「端の方からやろうとせずに、堂々とセンターまで出てきて、サッと背中を向けてきちんとその場で膝をついて座り、パッと外して、スッと去っていく。」
それは、本来目立つべきでないはずの後見が、舞台の中央という一番目立つ場所で、その背中を堂々と晒すことになり、瞬間、背中についた自らの紋が、最も舞台上で際立つ場所に位置することになります。
そのときに、別の師匠から
「後見も一役だから。」
と言われました。
裏方の様な存在であっても、その背中で魅せることも、役割の一つなのかもしれません。
格好良い後見姿のポイントは、背中にあるのかな…と思います。
次回は、「何をすれば盛り上がるの?」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。