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拝啓
今週末は祇園祭です。 豊橋にも祇園祭があるんですよ。 というか祇園祭って日本中にあるみたいです。 〇〇銀座、みたいに。
縁あって、この祇園祭を準備から密着取材に同行しています。 その中で、とある若者がインタビューで言った言葉が結構刺さりまして、それを紹介したいと思います。 「なんかねー、この非効率なのがいいんですよ。 もっと効率的にやろうと思えば、いくらでも出来ると思うんですが、あえてそれを誰もやらないっていうか」 なるほど。
改めてよく観察してみる。 幟(のぼり)だったり、櫓(やぐら)だったり、毎年同じものを組み立ててるはずなのに、「あれ、これってどうやるんだっけ」 「ほらほらそこはこうして」 「ん?こっちじゃないか」と毎年同じ試行錯誤を繰り返している。 よく見ると、一瞬一瞬で一生懸命に準備しているのは、一部の人で、それ以外の人たちは談笑にふけっており、手伝うでもなく、周りも責めるでもなく、ゆるい時間が流れている。
効率的にやるなら、組み立てのマニュアル作ればいいし、もっと言えば、準備に必要な人数だけを集めればよく、毎回毎回こんな全員が集まる必要もない。 でもやっぱそれは違うんだよなー。 たぶん、毎年繰り返されるこの会話や、談笑をする時間にはすごく意味がある。 うちの町内の祭りでも同じで、うまく言葉にしにくいけど「なんか手順ちがう気もするけど、このじいさんの言うこと聞いておこう」とか、「ああ、この人こわそーだけど、すげーいい人じゃん」とか、「え、この人、〇〇ちゃんのお父さんだったの!?」とか。
誰に聞いたかどこで見たか覚えてないけど、「祭りは、災害に備えた訓練」というのが僕の中ですごく腑に落ちている。 軽トラ持ってるとか、重機扱えるとか、大工仕事がうまいとか、力持ちとか、準備しながら誰がどういう特殊能力を持っているかを知って、そして、神輿を担ぐのは、協働で重たいものを運ぶ練習、だとか。 そのときに備えて、という意識はないのに、祭りにときに、祭りならではのぼやっとした順列ができていたりする。 たぶんこれが万一のときに役立ったりするんだろう。 本当に祭りのときでしか、町内の人たちとこんなに接する機会はないので、祭りって、大切。 遠くの親戚より、近くの他人。
あー、浴衣着たいなー。
敬具