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アホみたいに球場通ったり、糸の切れたタコみたいにドイツ行ったり、満身創痍で選手撮り続けてたりすると、いろんな人に絶対いろいろ聞かれる。質問される。
で、わたしがそれに対して答えると、さらにいろいろ聞かれる。
苦痛です。
誰かに伝えるって、苦手というか限界を感じるというか、ボキャブラリーも乏しいしさあ。って、まあそんな理由です。
わたしは表現してるって、最近言われました。
伝える、じゃなくて、表現する。。。
どう違うんやろなあ?
そんなの意識なんてしたこと無いから、言われたときも理解できなくて、今もよくわからないままです。
写真を見てもらうとき、わたしはことばであーだこーだとその写真について説明とかしないです。
キャプションもあまりつけない。
タイトルと写真だけ。
もちろんじぶんの中にはその写真を撮った理由とか背景とか思い入れとかあるけど、それをことばで説明しても選んだことばの些細なニュアンスとか順序とかの違いで、相手にちゃんと伝わるかわかんないし、伝わったこともあまりないし。
だから、写真を見てくれる人にゆだねることにしました。
感じ取ってくれるものは人それぞれだし、わかってくれる人に伝わればええかなあ、って。
だいたい被写体がレアだしね、表現が難しい被写体を追っかけてるって、最近ちょー思ってるけど、わたし選手しか撮れないからやめない。
けれど、伝えると表現するって何やろ。。。
時間は戻らないから、そういう意識する記憶からは遠くなってもイメージや概念としてちゃんと残っていることが大切で、そしてそれは必要なときに蘇るものであってほしいから写真として残しているのです。
それって言語っていうより視覚的だから、表現する、なのかなあ。
日本じゃないどっかがいいって思うのは、きっと最初からことばが通じにくいから。
「んー、なんかわかんないけど、おっけー!全部おっけー!」みたいになる。
あと、ことばによるコミュニケーションを諦めて、その空気とか間とか表情とかを大切に読み取ろうとするようになるから、そこも好き。
いろいろ説明しないといけないのは、やっぱり好きじゃない。
でも、もうちょっとことばで理解してもらえたほうがええのかなあ、とも思う。
なかなか難しい。めんどくさい。