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2014/07/04

皆さん、おはようございます。

とあるページで、ある人が子供に義務教育を受けさせず、
学校には在籍させたまま、実際には行かせずに、
家で家庭教師をつけるなりして学習させ、
大検に合格させて大学にやる、ということを勧めていました。

調べてみたら、ホームエデュケーションとか、
ホームスクーリングとか言うんだそうな。

初めに断っておきますが、
私は一概にこの教育方法を否定しません。
私自身、学校というところはあまり好きではなく、
出席日数はかなり悪かった方の人間で、
ホームエデュケーションやってくれたら良かったのに、
と思うタイプの人間であることはお断りしておきます。

で、その人は結構安易にホームエデュケーションを勧めていて、
その理由が私の目から見てお粗末なものだけに、
こんな考察を書く気になってしまったわけです。

その人の切り口なんですが、「オナ禁」、
つまり自慰行為の禁止を強く推奨していて、
まあ、そのメリットはわからんでもないのですが、
明確にヨーガなどの宗教的目的でするのでなければ、
私に言わせれば有害でしかない禁欲です。

もっとも、宗教的目的でやっているとしても
有害なパターンはあって、
全く異性にもてないという人間が、
逃げ道に禁欲を選んで、それなりに成功したがために、
慢心に陥って、禁欲しない人を蔑む、というのは
救いようのない事例となってしまいます。
だから、私は禁欲するならリア充に限るべきと思います。

閑話休題、
その人は、学校が自慰行為を推奨している、
という風に捉えているわけですな。
性教育によって性的な知識を与えることが助長だと。
だったら囲い込め、みたいな感じなんですが、
あまりにも理由がチープすぎて、
正直な感想は「アホか!」にしかなりません。

そもそもホームエデュケーションの選択は、
親が一方的に子供に通告することではありません。
我が子の適性を見極め、話し合いの上で選択することです。
オナ禁達成のための一方的な就学拒否は、
カルト教団の子供たちの境遇と何ら変わりはありません。

だいたい、これという特殊技能、
特に、芸術的な技能があるわけでもない人間が、
しかも集団を重んじる傾向のある日本人が、
学校という場で集団に揉まれずに大学生になったらどうなるのでしょう?
この人は大人になってからでも集団適応力は身につけられると言いますが、
私は普通の意味でのその能力はつかず、
イデオロギーじみた集団性しか獲得できないのではないか、
という疑問を持っています。

それに、これだけ横並びになりたがる日本人のことですから、
本人が行きたくないとも言っていない学校に行かせない、
というのは、人間形成上どうなんだろう、とも思います。
制度としてホームエデュケーションが確立した後ならともかく、
それが当たり前でない時に、本人の望みでもないのに選択するのは、
将来に懸念を作ってしまうだけではないかと危惧しています。
その人は欧米での成功例があると言いますが、
日本では上記の理由で、失敗例がかなり出来るのではないか、
というのが私の見解です。

2014/07/04 02:43 | bonchi | No Comments