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2014/03/31

最近ひょんなことからNYの友人と10年ぶりに連絡が復活する。
もう日本に帰国してるんじゃないかと思っていた友人、
ふと思い出してくれたのか、メールをくれた。

ところが、普段使わないメールだったので、3ヶ月も気がつかず、
返信する時はむしろもう逆に連絡がとれなくなっている、なんてことになってないかと
返事が来るまで気が気でならなかった。

こういう再会は、すごく嬉しい。

人が行き交う雑多な日々、生活に忙殺されてしまいがちな中、
すれ違わず、出会えるのは、少しでもお互いを気にしているから、だと思ってしまう。

そう言えば昔、ヒトと待ち合わせをしていたのに時間だけ決めていて、
場所を決めていなかったことがあった。

それが、どういう訳か、駅のホームで会えてしまう。
それは偶然もあるけれど、お互いに今、相手が何をしているか、と考えた上で
あそこにいるに違いない、と確信を持つ想像の賜物、必然的な結果と思う。

映画みたいなワンシーンは、意外に身近に転がっている。

それはまた、『飲みに行こう!』と言っていて、一向に実現しないのは
どちらかが社交辞令なだけだから、という残念な出来事にもつながる。

そんな嬉しい再会があったけれど、悲しい別れもあった。

10年ぶりに連絡をとりあった彼女が、少し間をおいてから、
私がNYで勤めていた会社の社長が、一昨年亡くなったよ、と伝える。

ショックだった。

それこそこの夏、大学時代を過ごしたボストンと、その後7年過ごしたNYを旅行し
社長にも挨拶に行こうかと思っていた矢先。

ネットで調べると、一昨年のことなのに幾つかニュースとして出てくる。
読売新聞の写植職人としてアメリカに渡米(と聞いている)、
MacのDTPに移行した時期に、日本語出力を扱える会社として起業。
私が勤めていた頃は、アメリカ中、は言い過ぎだけれど、
それこそほとんどの日系印刷物がその会社で製版され納品されていった。

そんな会社で7年、製版の基礎から、写植的な文字組みの美しさ、
元々の専攻だったデザイン、と順番にこなしていく。

日本にいたら出会わなかったような、バイタリティのあるデザイナーさんタチ。
うっすら『広告代理店』というものがあるのを知ったのもココ。
いろんな人を紹介してもらい、お世話になった。

今思えば、ポッと大学出たての私を、よく使ってくれたものだ。
人の入れ替わりの多いオフィスだったけど、
私だけじゃなく、みんなを家族のように扱ってくれた。

残業夜食の韓国料理のデリバリーとか、毎朝社長と奥さんと共に出勤してくる
ボストンテリアとフレンチブルドッグのポピーとビビアンとか。
よく説教されもしたし、社員旅行でいろいろな地へ連れて行ってもらったりもした。

人が集まるオフィスだったのは、やっぱり、社長の人柄で、
ビートルズにピンクフロイド、シャデー、仕事は音楽なしでは進まない。
後半はモー娘。からつんく、あややまで乱入、笑。

何がどうだったのか、そんな詳細説明なんてするもんじゃないけれど、
それこそ私の今は、あの時代を抜きには語れない。

今、社長がいなくなったと聞いたNYを思うと、切なくなる。
最後に会ったのはいつかなんて、思い出せない。

ヒトがいなくなるのは、とても簡単なのだと、
もっと会いに行けばよかったと、
何が自分を遠ざけていたのかと、後悔はするけれど、
やりたいことはやる社長だったから、幕際も社長らしいと、そう思うことにする。

弔う、は英語でどう言うのだろう。
decent, dedicated, memorial, to console

社長のいないNY、改めて訪ね、歩き、
そしてそっと社長を偲び、お礼を伝えたい。

2014/03/31 11:30 | masaki | No Comments