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2014/03/27
今の生活になってから3年という月日がたった。
1年目は毎日泣いてばかりで、大きなことを言うわりには、泣き虫のじぶんが
そこにいた。なんでも難しく考える癖がついているようで、簡単なことも
コムズカシクしてしまう。追いつめてしまうのだ。
そんなとき、ひとりの女性に出会った。
「私もあなたと同じで始めてのときは泣いて明かしたわ。でも大丈夫。ほら、見て。
もう6年目よ。この生活になって。未来はだいじょうぶ。辛いことは続かないわ」
そう言われて少しほっとしたが、まだ心のなかはどんよりしていた。
仕事もうまくいかず、そうさせているのは自身なのに、わからない。
いや、わからないふりをしていたのかもしれません。
本当にやりたいことは何かを、失ってからわかる自分をなんて愚かだとおもいました。
ただ、そのときはそれでも精いっぱい生きている、生かされている自分がいた。
ひとは、ひとりになってやっと自分を取りまいているものがなんだったのか
生かされている自分がいるのだと、やっと気づくのです。
あたりまえのことが、あたりまえではなかったとやっと気づく。
そして周りのひとにとても迷惑をかけていたということも。
この歳になってなんて甘ちゃんな私だったんだろうと気づくのです。
今でも仕事をしながら、それが鏡であるならば、相手を見ながら
投影されている現状を見て、自分は何者であったのかわかります。
それが過去でも現在でも。
ひとは、自分の鏡のような気がします。
そこに甘んじてはいけない。
そんなことを想ったいちにちでした。
2014/03/27 11:55 | shiho | No Comments