地球の舳先から vol.311
ミャンマー編 vol.9
翌日、何日かぶりに太陽より遅く起き出して豪華なホテルの朝食にありつく。
しかし、オムレツに唐辛子の実が具で入っているのもミャンマー流。
ボートで湖上民族や僧院を見学するのがインレー湖の定番コースだが、
奥地、その名も「奥インレー」というところに行けるということで頼んでいた。
以前は外国人の立ち入りを制限していたが、今は少数民族のガイドを雇わずとも行けるとのこと。
ガイドブックにも載っていないので何があるのかわからないのだが、とにかく向かった。
小船に乗り込み、浮島のあいだにできた航路を沿っていく。
このあたりは、湖に浮かぶ浮島の上で農業をしており、トマトなどの野菜が育っているらしい。
湖の上でどうしてそんなものが育つのか想像がつかなかったが、
浮島は頑丈に草が生い茂り、大の大人が十分上陸できる強度があり納得した。
インレー湖の一番奥、サガー村に着いたのは2時間後のこと。
サガーはプルメリアのミャンマー語。その昔、プルメリアの木で作った仏像がこの村に持ち込まれたことが村の起源であったことから、この名前が使われるようになったという。
見事な水上寺院に出迎えられたが、船着場にごみ集積所があるなど(そりゃ暮らす身としてはそれが効率的だ)のっけから観光地化されていない感が伝わってくる。
カメラの持込に1000K(100円)がかかるとガイドが非常に済まなそうに説明する。
「この村は今ツーリストを呼ぼうとしていて、外国人が使えるトイレも無いので、
そういったものを建設しようとしています」とその用途を説明される。
そんなにしどろもどろにならなくても、そのくらい払いますよ・・・
普通に入場料を取ればいいと思うのだが、ミャンマーの各地は入域料を払えば個別の入場料などはすべて無料、ということが多いので、入場料などの名目では徴収できない事情があるのかもしれない。
大きな僧院は訪問客もおらず、僧侶たちが午後の談笑をしている。
入っていくとやたらと渋いお茶を出してくれて、離れたところからにこにことこちらを観察している。
裏には廃墟になった木造建築があるが、鍋が並べてあったりして誰かが使っているようだ。
骨組みだけになったその廃墟にも、2階部分に置かれた仏像には清潔な袈裟がかけられ、僧侶が瞑想をしている。
とにかく、静かだった。
2000人ほどが住む小さな村だというが、学校も病院もあった。
「昔は、勉強は僧院で教えました。でも今は、学校がなくてはなりません。病院も」
ガイドが少し残念そうにそう説明する。
物事には両面があり、両面にそれぞれの正義が存在している。
豚もいた。ニワトリは親分顔だ。子どもが2人がかりでノコギリで木を切っている。
カラフルな洗濯物。製糖工場に運ぶというサトウキビの束。二毛作でこれから苗付けだというニンニクを植えている農民。
「村だなあ」「村ですねえ」ひとりでそんな会話をしたくなる光景だった。
別の小島にレストランがあるということで、対岸の村で焼酎作りを見学し、遅い昼食を取る。
ここまで来たらこのあたりで獲れる魚を食べなければ、と思いグリルを頼んだところ
ほんとうに、さっきそこで釣ってきました、という体のサカナが出てきた。
ライムを搾って食べる。開いていない魚をフォーク1本で食べるのは至難の業だった。
ここのところ6時ぴったりに日没を迎えるミャンマーで、日が傾き始めていたがガイドは
気にすることなく、仏塔が大量に並んだ寺院に上陸する。
彼女は敬虔な仏教徒のようで、どこでもかしこでも膝をついて祈っている。
こちらの寺院は、「お米の売買をする港」という名がついていた。
およそ200ほどの仏塔が並び、ほとんどがシンガポール由来だという。
廃墟とまでは言わないがひと気はあまりなく、仏塔には普通仏像がおさめられているのだが
それがなかったり、頭が取れたりと破損しているものも多かった。
帰り道、「チェックポイント」という大きな看板がかかった集落を通った。
きっとここが厳戒区域だった時代には大きな役割を果たしたのだろうが、
子供たちが水浴びをし、夕餉の煙がもくもくと匂い立つのどかな光景になっている。
遠くへ来たもんだ。
わたしのミャンマー旅行、最後の目的地もこれにて終了。
まあ、実はこれから影の大目的があるんだけれども。
つづく