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8日の土曜日はフィガロの結婚を観に。地方の芸術劇場です。
この場所は大学4年生のとき
大学合唱団の卒団コンサートで歌った場所です。
大ホール!
本当はコンパクトな小ホールでこじんまりやるのが普通なのに。
この年はどこのホールもとれなくて、唯一予約できた大ホールでした。
私たちには大き過ぎました。
あれから5年…も経ちましたか。
合唱オタクな私は声楽家の卵になりました。
中学生からハマった合唱部や合唱サークルで
歌に人間関係に協調に、最後の最後で恋愛に苦しんだのに
それでも歌い続けているということは、私には呼吸であって、歌をやめたらそれこそ生きる感覚がしないような生活になっているような気がします。
合唱や音楽は1人では成り立たないことなのです。
さて、観劇してきたフィガロですが…
大きなお屋敷での話です。
まず演出、舞台セットが素晴らしい。
装飾ではなく構造!
派手なものは一切なく大道具はシンプルに。
普通だと幕ごとに場面転換で誰の部屋、かれの部屋と変えていくのですが、
その方法は、全部の部屋の骨組みセットを客席側に回転させるだけでどこの部屋でも他のキャストが演技を続けているから何をやっているか丸見え…という。
(つまりシーンに出番はないが舞台上にはいる)
だから、エキストラの召使いは掃除や料理をし続けたりふざけあったり、
他のキャストが酒を飲んだり女に手を出したりと
視覚面で飽きない!
最近、歌劇て一般の人からすると音楽も同じフレーズの反復だったりするし手持ち無沙汰の歌手が演じていると、
演奏中は立ちんぼで動きもなく退屈に感じてしまう人もいるだろうな…と思っていたのですが…
スポットを当てるところの邪魔にならない程度のエキストラを入れるのも悪くないのかも…と肯定的になってきました。
歌ってる者たち以外が目立ってそちらばかりに目がいくような演出は私はよくないな…という意見だったのですが…
目が、気が散るのと
なんか面白い、と感じさせるのとでは違う!
演出もエキストラの置き方にも奥が深いものがあるなあと思いました。