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地球の舳先から vol.309
ミャンマー編 vol.7
ポッパ山を早々に退散し、車は小さな民家の軒先の土産物屋のようなところへ立ち寄った。
牛をぐるぐると歩かせて臼をひき、ピーナツのオイルを絞らせていたり、
決して若いとはいえないおじちゃんがものの何秒かで縄梯子をのぼってココナツを収穫したり、
焼酎の蒸留の火の番を子どもがしていたりする。
タナカと呼ばれる日焼け止めは木をこすって汁を出し、すすめてくる。
伝統産業や文化を一気に見せられたようで、小さな博物館に来たようだ。
ゴマやパームシュガーも売っているが押し売りはなく、子どもは非常に控えめ。
東ティモールでも、ラオスでも、東南アジアの小さな村ではいつも見た光景を思い出す。
嵐が来たら吹っ飛びそうな、木を編んだ家と藁葺きのような屋根。
よれよれのカラフルなタンクトップで、外で家のことをする小さい子。
庭でとれるもの。料理のようす。家で飼っている家畜。そういうものを自慢げに見せる。
ひとことも分からない現地語も、指差しながら説明されれば疎通に不具合も無い。
国によっては、狡猾に、ときに残酷なまでに、子どもに何をさせるんだというほどに商売道具にする光景にも会うからこそ、素朴な村や人々を見ると、「変わらないでいてほしい」と、勝手な旅行者の感傷で思う。
旅に出るとき、わたしの両のポケットにはだいたいお菓子が入っている。
足を失った人やホームレスの高齢者には小銭を渡すが、子どもにはあまりお金をあげたくない。
(そんな線引きだって個人的な理不尽なものだけれども。)
かわりに、日本が誇る駄菓子を渡す。だいたい、美しすぎて「食べ物か?」と訝しがられる。
写真をせがまれたり、カメラを向けると家族や友人を呼びに走るときは、チェキに持ち替える。
服を着替えて出てくるお母さんも居る。そして何十秒かの後に、魔法のように手のひらの上に浮かび上がる写真を見たときの子どもたちの歓声。
遠い日本のフジフィルムを、夜空に光る一番星のごとくスーパースターに感じる瞬間だ。
パームシュガーは涙が出るほど甘すぎたので、ゴマを買って、その場をあとにする。
来た道を辿り、たまに「岡山県です」などと意味不明な日本語を喋るナビを積んだ車はホテルへ着いた。
まだ午後は始まったばかりだったが、ゆっくり旅をしよう、と決めていた。
どうしても海外へ行くと欲張りがちで、好んで時間に追われてしまう。
自動車のスピードは、輸送手段としては素晴らしくとも、ものを肉眼で見るには速過ぎる。
歩くためには時間が必要だし、いつもの半分の予算で旅をしているわたしには、都合よくお金も無かった。
昭和を思わせる旧式のママチャリをレンタルした。実際、注意書きのシールが日本語だったりして、日本から中古を輸入したか寄付されたかしたものなのだろう。
前言撤回になるが、坂が多すぎて、なぜ電動にしなかったか後悔するはめになるのだが。
町全体が遺跡になっている城壁に囲まれた旧市街を観光化するにあたり
一般住民が移住を強いられたという新市街、ニューパガンへ行く。
見事なパゴダ(仏塔)がいくつも続き、写真を撮っているときりがない。
平日の小学校の下校時間に当たったようで、子どもがわらわらと駆けてくる。
伝統的な民族衣装の制服とカバンを持った中学生もいた。僧侶の学校もある。
牛が枯草を食んでいる。のどかだった。そして、生活があった。
こういうミャンマーを見たかったのだ。よかった。
屋台のような店に「DAGON」という銘柄のビールの看板があったので勇んで入る。
これでミャンマービール、マンダレービール、ダゴンビールとミャンマーの三大ビールを制覇した。
満足である。
ふたたび、あても無く自転車を走らせていると、民芸品工房があった。
手彫りで工芸品に装飾をしたり、染物や織物をする職人たちがオープンスペースで手仕事をする。おそらくお土産調達スポットとして整備されたのだろう。
道端には、昔ながらに大きな木を広げて、延々とかごを織っている人たちもいる。
そのままオールドパガンまで戻ってきて通過し、今度は東へ。
旧市街を出るところにあるタラバー門は、城壁で作られたオールドパガンの入り口だが、
わたしはその向かいで工事をする人の姿のほうが気になった。
なんとも伝統的な建築法。なにを建てているのだろうか。
眺めていると、まだ枝の枠組みだけの屋根から手を振ってくれる。
この国の人たちは、よく手を振る。
パガンの町は大きく分けて、西から順番に、移住政策により新しくできた人々の町ニューパガン、遺跡と城壁に囲まれ高級ホテルが数軒のみのオールドパガン、安宿やレストランが集まる賑やかなニャンウーの3地域に分かれている。さらに東に進むと、船の発着する港がある。
ニャンウーに入ると、にわかに騒々しくなった。
レストランや安宿の看板、インターネットカフェなどが立ち並ぶ。
端のほうに、地球の歩き方に載っていたカレー屋さんがあったので休憩。
ここは中華風味らしく、ミャンマー流でないカレーが食べられるという。
パガンでとれる川海老を使ったというカレーは確かにものすごく美味しい。
トマトと玉ねぎのたくさん入った油汁でないカレーで、海老も具が存在している。
忘れていたけれどこの日は日本で言う大晦日。
だからよけいに人手が多かったのかもしれなかった。
夜の帳がおりたらサイクリングが危険なのは想像に難くない。
思わずカレー屋で長居をしてしまったので、帰りは必死に自転車を漕ぎ
日没とほぼ同時にホテルに帰り着いた。
ミャンマーのニューイヤーはといえば、お世辞にも上手ではなくわたしのカラオケ以下のシンガーが奇声をあげ続け(住民が騒いでいるのではなく、れっきとした、ホテルがこの日のために特別に用意したイベントである)、夜通し寝られない。
レストランも到底手が出ない特別メニューになるうえに、旧市街には手ごろなレストランは存在しないので滞在される方はご注意を。
(前日、闇鍋をした「リバーサイドレストラン」、ようやくその姿を確認できた)
それにしても自転車を漕ぎすぎて疲れた。
眠れぬ夜のまま、旅は続いていく。