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2014/02/07

皆さん、おはようございます。

この数日騒がれている、作曲家佐村河内氏について、
仮にも音楽を生業とする者として、
一言見解を申し述べておきたいと思います。

現代のベートーヴェンとしてその名を知られた佐村河内氏、
しかし、このようなことが明るみに出た今、
彼には「現代のヴァルゼック伯爵」という名前こそ
相応しいことは間違いないでしょう。

主題など、断片的にでも自作して新垣氏に依頼していれば、
新垣氏は編曲した、という弁も成り立つでしょうが、
イメージを言葉による指示書で指示しただけ。
これでは、作曲のさの字もしていないと言わざるを得ません。
この状況で、編曲としても新垣氏の名前を出さず、
作曲料の他に印税などを分けもせず、
自分の作曲として世に出していたのであれば、
それはもう現代のヴァルゼック伯爵と言わねばならないでしょう。

さて、ヴァルゼック伯爵をご存知でない方に説明をば。
1791年の夏頃、モーツァルトにレクイエムの作曲を依頼した、
モーツァルトにとってはフリーメーソンの盟友です。
召使を使者にして依頼したのですが、依頼主の名前を名乗らせず、
半額を渡して、完成時に全額を渡す、という約束で
レクイエムをモーツァルトに書かせたものの、
完成に至る前に、モーツァルトは亡くなりました。

弟子数人によって完成されたレクイエムが使者に渡され、
1年ほどしてからヴァルゼック伯爵の指揮で、
ヴァルゼック伯爵作曲のレクイエムとして演奏されました。

・・・しかし、モーツァルトの遺族や友人が、
それより少し前に初演をしています。
これが、モツレク、ジュスマイヤー版の初演です。

このヴァルゼック伯爵には、作曲家に書かせたものを、
自分の作曲として演奏する趣味があったのです。
しかし、伯爵の趣味はあくまでも個人的な範囲にとどまります。
佐村河内氏の場合は、それよりも影響は甚大で悪質です。

そして、関係者の話として、
新垣氏からは、おそらく耳が聞こえていることが指摘されています。
会話だけならば、唇の動きから言葉を読み取ることも出来ます。
事実、ベートーヴェンにはその能力があったらしい。
しかし新垣氏からは、出来た曲を録音して持って行ったら、
それについてコメント、注文をつけられたという事実が
指摘されているわけです。
これは、新垣氏が佐村河内氏を陥れようとしているのでない限り、
逃れようもない事実の暴露になります。

彼の耳が聞こえないと信じている人、
また、耳が聞こえない人に対する冒涜以外の何物でもないのです。
そんなことをしてまで売名しようとする佐村河内氏。

また、新垣氏が関係解消を提案すると、
「やめるなら妻と心中する」と脅迫めいたことを言う。

「ソナチネ」を献呈したヴァイオリンの少女に対しては、
近頃は絶対服従を要求して無理な要求をし、
断られて激怒、絶縁になる、という悪質な一面を見せています。

こうしたことから見えてくる佐村河内氏のキャラクターといえば、
極めて自己中心的で、自分の売名のためなら何でも利用し、
踏み台にすることを厭わない、
少なからず犯罪者的な性質、というものになります。

一方、ゴーストライターの新垣氏のキャラクターといえば、
およそ佐村河内氏の正反対とお見受けします。
でなければ、こんな形で利用されたりはしないでしょう。
会見を見る限り、いわゆる作曲バカ、
作品を作ることにしか興味のない人、という感じです。
名前が出ないことには苦痛は感じず、
罪悪感も、作品のために生じたものに見えるだけ。

作品は、優れているようです。
というのも、注文主の注文通りに作ることが出来、
しかも聴衆を喜ばせるだけのものが作れるわけですから、
新垣氏はそこそこに優秀な作曲家なのでしょう。
作品に罪はないので、作曲者を差し替え、
今後は新垣氏の作品として委嘱されるのもいいでしょう。

これで佐村河内氏が新垣氏が今後作った曲に対し、
「俺のために有名になれたんだからいくらかよこせ」
とまで言ってきたら、もう感心しますよね。(笑)

しかし、いくらか作曲をする人間として言いますが、
自分の曲くらい自分で書きたいもんです。
代作はしてほしくないなあ。
編曲してもらうのもいやなのに。

2014/02/07 12:58 | bonchi | No Comments