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2014/02/06

こんにちは、酒井孝祥です。

僕が日本の古典物の舞台を観ることを勧められ、同時に、歌舞伎であれば、座席の場所によってはとんでもなくチケット代が安いということを教えていただいてから、とりあえず空いた時間をみつけて歌舞伎を観に通った時期がありました。

もちろん知識も何もないわけですから、どの演目が面白いのか、どの役者さんが素晴らしいのかなど分からないまま、とりあえず時間の都合に合わせて、そのときに観られる作品を観に行きます。

そして、探り探りに勉強のつもりで何度か歌舞伎を観ているうちに、「これは凄い!」と思い、純粋なお客の気持ちで初めて楽しめたのは、「連獅子 」という舞踊作品でした。

「連獅子」とは、前半は人間体で出てきた2人(3人の場合もあり)が、獅子が我が子を谷底に突き落とす様などを表現した踊りで、演者がいったん引っ込んだ後に、間繋ぎの狂言等を経て、後半では獅子の精となって再登場し、身長よりも長い赤と白の髪の毛を振り回す、舞踊作品です。

白い獅子と赤い獅子が、本物の親子の俳優の組み合わせで踊られることも多い作品です。

僕が初めて「連獅子」を観たときに、獅子達が髪の毛を振る毛振りがピッタリ揃って行われ、寸分の狂いもないままそれが長時間続く様子に度肝を抜かれました。

そして、気が付いたら大きな拍手をしている自分がいました。

お芝居が終わった後に、お客として拍手をするのは、ある意味お約束ごとのようなものですが、上演中の拍手というのは、場合によってはマナー違反にもなりかねませんから、普通にはしにくいものです。

歌舞伎だったら、役者さんが登場する度に拍手が起こったり、ミュージカルだったらナンバーが1曲終わる度に拍手をするのも珍しくないですが、当時の僕には、あまりそういう認識がありませんでした。

それでも、自然に拍手をしていた自分がいて、周囲の他のお客さん達も同じ様に拍手をしています。

そして、お客さんからの応援を受けているためか、毛振りの勢いはどんどん増していき、客席からは歓声が沸き上がる。

この感覚、スポーツ観戦に近いものがあると思います。

例えば、フィギュアスケートの選手が演技に成功することを望み、見守っていて、選手がジャンプし、技に成功したら、テレビの前でも思わず拍手をしてしまう様に、観客は、目の前にいるパフォーマーに感情移入し、応援しています。

お芝居は、繰り返し再演されているものを除けば、その後どういう展開になるかが分からないから観ていてドキドキすることが多いと思います。

スポーツでは、技の組み合わせだったり、勝敗の行方は分からないものの、選手がその後何をするのかおおよそは決まっていることがあり、「連獅子」でも、獅子が出てきて毛振りをするという展開については、ほとんどのお客があらかじめ知っております。

その後、行動として何がなされるのか分かっていながらも、それに成功するか、いかに見事に成し遂げるかを見守り、ドキドキ出来ることは、スポーツ観戦と、繰り返し同じものが上演され続ける古典の芸能において、共通した要素の様に思います。

陸上競技で、選手が速く走るのを見たり、高く飛ぶのを見たら、その行為に特にストーリー性がなくとも、純粋に凄いと思って心動かされると思います。

古典芸能が難しくて退屈そうという先入観を持たなくても、スポーツ選手の動きを見て感動するように、「毛の振り方が激しくて凄いな!」「あんな重い衣装をつけてどうしてあそこまで軽やかに動けるんだ!」「凄い、マイクを使っているわけでもないのにこんなに声が響く!」といったような、そんな単純なことでも十分に楽しめると思います。

古典のものは難しくて理解しにくそうだから…などと敬遠せずに、スポーツを観に行く様な気持ちで劇場に足を運べば、純粋な感動に出会えるかもしれません。

次回は、「司会と音響」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。

2014/02/06 12:18 | sakai | No Comments