« 北沢力、Twitterをはじめましたの巻 | Home | 新しい年が始まりました »
ネパールには生き神クマリがいる。
たまたまクマリが顔を出す時で、クマリに会った。
あどけない普通の少女だったけど、日々国のため、人のために祈っているのだとか。
マレーシアもそうだけど、宗教色の強い国には「祈り」は日常の日課として根付いている。
それはまるでご飯を食べるように、それはまるで顔を洗うように、人々は日々の生活の中で祈りの時間を持つ。
人は何を期待し、人は何を想って祈るんだろう。
聖地ボダナートで一心不乱に時計回りに回りながら祈る人々。
そして全身を地に投げ出して祈る五体投地をし続ける人々。
カメラに収めるのも躊躇するほど真剣な彼らの眼差しを見ながら、「祈り」について考えた。
どこに行ってもあるマニ車。
ここには真言が書かれていて、小さい子供も大人もみんな祈りながらこれを回して歩く。
こうして幼い頃から、生活の中に祈りが浸透していくんだと思う。
「祈り」の場は、人々の想いのエネルギーが集まっている。
人々は毎日何度も祈り、感謝する。
世界の平和を。
国の繁栄を。
家族の健康を。
自分の幸せを。
祈りは色々あるだろうけど、祈ることで日々感謝をし、祈ることで日々生かされていることを確認するような気がする。
マレーシアも祈りのある国。
イスラム教徒はモスクに行って一日5回祈り。
ヒンドゥー教徒はヒンドゥー寺院に行って毎日祈り。
仏教徒は仏教寺院に行って祈り。
宗教を持たず祈りと共に過ごす習慣がない日本人だからこそ、「祈り」の姿に感動を覚え、そしてどこか懐かしさを感じるのかもしれない。
偶然にも平和で安全な日本に生まれ、電気も水も不自由なく揃う世代に生まれた私達。
当たり前のこの生活に感謝の祈りを捧げたいと思った。